内容で、何時になったら、恋しいあの児の手を纏《ま》いて一しょに寝ることが出来るだろうか、という感慨を漏《も》らしたものだが、上は序詞で、鹿の入って行く入野、入野は地名で山城|乙訓《おとくに》郡大原野村上羽に入野神社がある。その入野の薄《すすき》と初尾花《はつおばな》と、いずれであろうかと云って、いずれの時かと続けたので、随分|煩《うるさ》いほどな技巧を凝《こ》らしている。こういう凝った技巧は今となっては余り感心しないものだが、当時の人は骨折ったし、読む方でも満足した。併しこの歌で私の心を引いたのは、そういう序詞でなく、「いづれの時か妹が手纏かむ」の句にあったのである。聖徳太子の歌に、「家にあらば妹が手|纏《ま》かむ草枕旅に臥《こや》せるこの旅人《たびと》あはれ」(巻三・四一五)があった。

           ○

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あしひきの山《やま》かも高《たか》き巻向《まきむく》の岸《きし》の子松《こまつ》にみ雪《ゆき》降《ふ》り来《く》る 〔巻十・二三一三〕 柿本人麿歌集
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 巻向《まきむく》は高い山だろう。山の麓《ふもと》の崖《がけ》に生えている小松にまで雪が降って来る、というので、巻向は成程《なるほど》高い山だと感ずる気持がある。「岸《きし》」は前にもあったが、川岸などの岸と同じく、山と平地との境あたりで、なだれになっているのを云うのである。「山かも高き」というような云い方は既に幾度も出て来て、常套《じょうとう》手段の如き感があるが、当時の人々は、いつもすうっとそういう云い方に運ばれて行ったものだろうから、吾々もそのつもりで味う方がいいだろう。「岸の小松にみ雪降り来る」の句を私は好いているが、小松は老松ではないけれども相当に高くとも小松といったこと、次の歌がそれを証している。

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巻向《まきむく》の檜原《ひはら》もいまだ雲《くも》ゐねば子松《こまつ》が末《うれ》ゆ沫雪《あわゆき》流る 〔巻十・二三一四〕 柿本人麿歌集
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 巻向の檜林《ひのきばやし》は既に出た泊瀬《はつせ》の檜林のように、広大で且つ有名であった。その檜原に未だ雨雲が掛かっていないに、近くの松の梢《こずえ》にもう雪が降ってくる、という歌で、「うれゆ」の「ゆ」は、「ながる」という流動の動詞
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