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「大和へ越ゆる」であるから、大和に接した国、山城とか、紀伊とか、或は旅中にあって、遠く大和の方へ行く雁を見つつ詠んだものであろう。空遠く段々見えなくなる光景で、家郷をおもう情がこもっているのである。初句の、「秋風に」という云い方は、簡潔で特色のあるものだが、後世こういう云い方が繰返されたので陳腐《ちんぷ》になった。やはりこの巻(二一三六)に、「秋風に山飛び越ゆる雁がねの声遠ざかる雲隠るらし」というのがあるが、この方は声を聞いて、「雲がくるらし」と推量しているので、伝誦のあいだに変化して通俗的に分かりよくなったものであろう。即ち二一三六の方が劣るのである。

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朝《あさ》にゆく雁《かり》の鳴《な》く音《ね》は吾《わ》が如《ごと》くもの念《おも》へかも声《こゑ》の悲《かな》しき 〔巻十・二一三七〕 作者不詳
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 作者不明。初句、旧訓ツトニユク、古鈔本中、ケサ又はアサと訓んだのがある。いま朝早く、飛んで行く雁の鳴く声は、何となく物悲しい。彼等もまた私のように物思《ものおもい》しているからだろう、というのである。どういう物思かというに、妻恋《つまこい》をして、妻を慕いつつ飛んで行くという気持で、自分の心持を雁に引移して感じて居るのである。この歌の、「朝に」は時間をあらわすので、「朝《あさ》に日《け》に出で見る毎に」(巻八・一五〇七)、「朝な夕なに潜《かづ》くちふ」(巻十一・二七九八)等の「に」と同じい。「物念へかも」は疑問の「かも」である。そう大した歌でないようでも、惻々《そくそく》とした哀韻があって棄てがたい。「鳴く音は」、「声の悲しき」で重複しているようだが、前は稍《やや》一般的、後は実質的で、他にも例がある。旅人《たびと》の歌に、「湯の原に鳴く葦鶴《あしたづ》はわが如く妹《いも》に恋ふれや時分かず鳴く」(巻六・九六一)というのがある。

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山《やま》の辺《べ》にい行《ゆ》く猟夫《さつを》は多《おほ》かれど山《やま》にも野《ぬ》にもさを鹿《しか》鳴《な》くも 〔巻十・二一四七〕 作者不詳
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 作者不明。野にも山にもしきりに牡鹿《おじか》が鳴いている。山のべに行く猟師は随分多いのだが、というので、猟師は恐
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