は或は人麿自身の作かも知れない。人麿の作とすれば少し楽に作っているようだが、極めて自然で、佶屈《きっくつ》でなく、人心を引入れるところがあるので、有名にもなり、後世の歌の本歌ともなった。併しこの歌は未だ実質的で写生の歌だが、万葉集で既にこの歌を模倣したらしい形跡の歌も見つかるのである。
○
[#ここから5字下げ]
子等《こら》が名《な》に懸《か》けのよろしき朝妻《あさづま》の片山《かたやま》ぎしに霞《かすみ》たなびく 〔巻十・一八一八〕 柿本人麿歌集
[#ここで字下げ終わり]
人麿歌集出。朝妻山は、大和南葛城郡葛城村大字朝妻にある山で、金剛山の手前の低い山である。「片山ぎし」は、その朝妻山の麓《ふもと》で、一方は平地に接しているところである。「子等が名に懸けのよろしき」までは序詞の形式だが、朝妻という山の名は、いかにも好い、なつかしい名の山だというので、この序詞は単に口調の上ばかりのものではないだろう。この歌も一気に詠んでいるようで、ゆらぎのあるのは或は人麿的だと謂《い》っていいだろう。気持のよい、人をして苦を聯想せしめない種類のもので、やはり万葉集の歌の一特質をなしているものである。
この歌と一しょに、「巻向の檜原《ひはら》に立てる春霞おほにし思はばなづみ来めやも」(巻十・一八一三)というのがある。これは、上半を序詞とした恋愛の歌だが、やはり巻向の檜原を常に見ている人の趣向で、ただ口の先の技巧ではないようである。それが、「おほ」という、一方は霞がほんのりとかかっていること、一方はおろそかに思うということの両方に掛けたので、此歌も歌調がいかにも好く棄てがたいのであるから、此処《ここ》に置いて味《あじわ》うことにした。
○
[#ここから5字下げ]
春霞《はるがすみ》ながるるなべに青柳《あをやぎ》の枝《えだ》くひもちて鶯《うぐひす》鳴《な》くも 〔巻十・一八二一〕 作者不詳
[#ここで字下げ終わり]
春雑歌、作者不詳。春霞が棚引きわたるにつれて、鶯が青柳の枝をくわえながら鳴いているというので、春の霞と、萌《も》えそめる青柳と、鶯の声とであるが、鶯が青柳をくわえるように感じて、その儘こうあらわしたものであろうが、まことに好い感じで、細かい詮議《せんぎ》の立入る必要の無いほどな歌である。併し、少し詮議するなら、はやく
前へ
次へ
全266ページ中170ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング