既に記した。

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沫雪《あわゆき》のほどろほどろに零《ふ》り重《し》けば平城《なら》の京師《みやこ》し念《おも》ほゆるかも 〔巻八・一六三九〕 大伴旅人
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 大伴旅人《おおとものたびと》が筑紫太宰府にいて、雪の降った日に京《みやこ》を憶《おも》った歌である。「ほどろほどろ」は、沫雪《あわゆき》の降った形容だろうが、沫雪は降っても消え易く、重量感からいえば軽い感じである。厳冬の雪のように固着の感じの反対で消え易い感じである。そういう雪を、ハダレといい、副詞にしてハダラニともいい、ホドロニと転じたものであろうか。「夜を寒み朝戸を開き出で見れば庭もはだらにみ雪降りたり」(巻十・二三一八)とあって、一に云う、「庭もほどろに雪ぞ降りたる」とあるから、「はだらに」、「ほどろに」同義に使ったもののようである。また、「吾背子を今か今かと出で見れば沫雪ふれり庭もほどろに」(同・二三二三)とあり、軽く消え易いように降るので、分量の問題でなく感じの問題であるようにおもえる。沫雪は消え易いけれども、降る時には勢いづいて降る。そこで、旅人の此歌も、「ほどろほどろに」と繰返しているのは、旅人はそう感じて繰返したのであろうから、分量の少い、薄く降るという解釈とは合わぬのである。特に「零り重《し》けば」であるから、単に「薄い雪」をハダレというのでは解釈がつかない。また、「はだれ降りおほひ消《け》なばかも」(同・二三三七)の例も、薄く降るというよりも盛に降る心持である。そこで、ハダレは繊細に柔かに降り積る雪のことで、ホドロホドロニは、そういう柔かい感じの雪が、勢いづいて降るということになりはしないか。ホドロホドロと繰返したのは旅人のこの一首のみで、模倣せられずにしまった。
 この一首は、前にあった旅人の歌同様、線の太い、直線的な歌いぶりであるが、感慨が浮調子《うわちょうし》でなく真面目《まじめ》な歌いぶりである。細かく顫《ふる》う哀韻を聴き得ないのは、憶良《おくら》などの歌もそうだが、この一団の歌人の一つの傾向と看做《みな》し得るであろう。

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吾背子《わがせこ》と二人《ふたり》見《み》ませば幾許《いくばく》かこの零《ふ》る雪《ゆき》の懽《うれ》しからまし 〔巻八・一六五八〕 
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