は、譬喩《ひゆ》歌ということは直ぐ分かって、少しうるさく感ぜしめる。此等と比較しつつ味うと赤人の歌の好いところもおのずから分かるわけである。なお、赤人の歌には、この歌の次に、「あしひきの山桜花|日《け》ならべて斯《か》く咲きたらばいと恋ひめやも」(巻八・一四二五)ほか二首があり、清淡でこまかい味《あじわ》いであるが、結句は、やはり弱い。なお、「恋しけば形見にせむと吾が屋戸《やど》に植ゑし藤浪いま咲きにけり」(同・一四七一)があり、これを模して家持《やかもち》が、「秋さらば見つつ偲《しの》べと妹が植ゑし屋前《やど》の石竹《なでしこ》咲きにけるかも」(巻三・四六四)と作っているが、共に少し当然過ぎて、感に至り得ないところがある。赤人の歌でも、「今咲きにけり」が弱いのである。なお参考句に、「春の野に菫を摘むと、白妙の袖折りかへし」(巻十七・三九七三)がある。
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百済野《くだらぬ》の萩《はぎ》の古枝《ふるえ》に春《はる》待《ま》つと居《を》りし鶯《うぐいす》鳴《な》きにけむかも 〔巻八・一四三一〕 山部赤人
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山部赤人の歌で、春到来の心を詠んでいる。百済野は大和《やまと》北葛城《きたかつらぎ》郡|百済《くだら》村附近の原野である。「萩の古枝」は冬枯れた萩の枝で、相当の高さと繁みになったものであろう。「春待つと居りし」あたりのいい方は、古調のいいところであるが、旧訓スミシ・ウグヒスであったのを、古義では脱字説を唱え、キヰシ・ウグヒスと訓《よ》んだ。併し古い訓(類聚古集・神田本)の、ヲリシウグヒスの方がいい。この歌も、何でもないようであるが、徒《いたず》らに興奮せずに、気品を保たせているのを尊敬すべきである。これも期せずして赤人の歌になったが、選んで来て印をつけると、自然こういう結果になるということは興味あることで、もっと先きの巻に於ける家持の歌の場合と同じである。
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蝦《かはづ》鳴《な》く甘南備河《かむなびがは》にかげ見《み》えて今《いま》か咲《さ》くらむ山吹《やまぶき》の花《はな》 〔巻八・一四三五〕 厚見王
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厚見王《あつみのおおきみ》の歌一首。厚見王は続紀《しょくき》に、天平勝宝《てんぴょうしょうほう》元年に従五位下
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