ね》くなれば吾が胸|截《た》ち焼《や》く如し」(巻四・七五五)というがあり、「わが情《こころ》焼くも吾なりはしきやし君に恋ふるもわが心から」(巻十三・三二七一)、「我妹子に恋ひ術《すべ》なかり胸を熱《あつ》み朝戸あくれば見ゆる霧かも」(巻十二・三〇三四)というのがあるから、参考として味うことが出来る。
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秋津野《あきつぬ》に朝《あさ》ゐる雲《くも》の失《う》せゆけば昨日《きのふ》も今日《けふ》も亡《な》き人《ひと》念《おも》ほゆ 〔巻七・一四〇六〕 作者不詳
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挽歌の中に載せている。吉野離宮の近くにある秋津野に朝のあいだ懸《か》かっていた雲が無くなると(この雲は火葬の烟《けむり》である)、昨日も今日も亡くなった人がおもい出されてならない、というのである。人麿が土形娘子《ひじかたのおとめ》を泊瀬《はつせ》山に火葬した時詠んだのに、「隠口《こもりく》の泊瀬の山の山の際《ま》にいさよふ雲は妹にかもあらむ」(巻三・四二八)とあるのは、当時まだ珍しかった、火葬の烟をば亡き人のようにおもった歌である。また出雲娘子《いずものおとめ》を吉野に火葬した時にも、「山の際ゆ出雲《いづも》の児等は霧なれや吉野の山の嶺《みね》に棚引《たなび》く」(同・四二九)とも詠んでいるので明かである。此一首は取りたてて秀歌と称する程のものでないが、挽歌としての哀韻と、「雲の失せゆけば」のところに心が牽《ひ》かれたのであった。
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福《さきはひ》のいかなる人《ひと》か黒髪《くろかみ》の白《しろ》くなるまで妹《いも》が音《こゑ》を聞《き》く 〔巻七・一四一一〕 作者不詳
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自分は恋しい妻をもう亡《な》くしたが、白髪になるまで二人とも健《すこや》かで、その妻の声を聞くことの出来る人は何と為合《しあわ》せな人だろう、羨《うらやま》しいことだ、というので、「妹が声を聞く」というのが特殊でもあり一首の眼目でもあり古語のすぐれたところを示す句でもある。現代人の言葉などにはこういう素朴で味のあるいい方はもう跡を絶ってしまった。
一般的なようなことを云っていて、作者の身と遊離しない切実ないい方で、それから結句に、「こゑを聞く」と結んでいるが、「聞く」だけで詠歎の響があ
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