もあらなくに海原《うなばら》のたゆたふ浪《なみ》に立《た》てる白雲《しらくも》 〔巻七・一〇八九〕 作者不詳
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作者不明だが、「伊勢に駕《が》に従へる作」という左注がある。代匠記に、「持統天皇朱鳥六年ノ御供ナリ」と云ったが、或はそうかも知れない。一首の意は、大海《だいかい》のうえには島一つ見えない、そして漂動《ひょうどう》している波には、白雲が立っている、というので、「たゆたふ」は、進行せずに一処に猶予している気持だから、海上の波を形容するには適当であり、第一その音調が無類に適当している。それから、「あらなくに」は、「無いのに」という意で、其処に感慨をこもらせているのだが、そう口訳すると、理に堕《お》ちて邪魔するところがあるから、今の口語ならば、「島も見えず」、「島も無くして」ぐらいでいいとおもう。つまり、島一つ無いというのが珍らしく、其処に感動が籠《こも》っているので、「なくに」が、「立てる白雲」に直接続くのではない。若し関聯せしめるとせば、普段《ふだん》大和で山岳にばかり雲の立つのを見ていたのだから、海上のこの異様の光景に接して、その儘、「大海に島もあらなくに」と云ったと解することも出来る。調子に流動的に大きいところがあって、藤原朝の人麿の歌などに感ずると同じような感じを覚える。ウナバラノ・タユタフ・ナミニあたりに、明かにその特色が見えている。普通|従駕《じゅうが》の人でなおこの調《しらべ》をなす人がいたというのは、まことに尊敬すべきことである。
「見まく欲《ほ》り吾がする君もあらなくに奈何《なにし》か来けむ馬疲るるに」(巻二・一六四)、「磯の上に生ふる馬酔木《あしび》を手折《たを》らめど見すべき君がありといはなくに」(同・一六六)、「かくしてやなほや老いなむみ雪ふる大あらき野の小竹《しぬ》にあらなくに」(巻七・一三四九)等、例が多い。皆、この「あらなくに」のところに感慨がこもっている
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御室《みもろ》斎《つ》く三輪山《みわやま》見《み》れば隠口《こもりく》の初瀬《はつせ》の檜原《ひはら》おもほゆるかも 〔巻七・一〇九五〕 作者不詳
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山を詠んだ、作者不詳の歌である。「御室《みもろ》斎《つ》く」は、御室《みむろ》に斎《いつ》くの意で、神を祀《まつ》ってあること
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