金《くがね》も玉《たま》もなにせむにまされる宝《たから》子《こ》に如《し》かめやも 〔巻五・八〇三〕 山上憶良
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 山上憶良は、「子等を思ふ歌」一首(長歌反歌)を作った。序は、「釈迦如来、金口《こんく》に正しく説き給はく、等しく衆生《しゆじやう》を思ふこと、羅※[#「目+喉のつくり」、第3水準1−88−88]羅《らごら》の如しと。又説き給はく、愛は子に過ぎたるは無しと。至極の大聖すら尚ほ子を愛《うつく》しむ心あり。況《ま》して世間《よのなか》の蒼生《あをひとぐさ》、誰か子を愛《を》しまざらめや」というものであり、長歌は、「瓜《うり》食《は》めば子等《こども》思ほゆ、栗《くり》食《は》めば況してしぬばゆ、何処《いづく》より来《きた》りしものぞ、眼交《まなかひ》にもとな懸《かか》りて、安寝《やすい》し為《な》さぬ」というので、この長歌は憶良の歌としては第一等である。簡潔で、飽くまで実事を歌い、恐らく歌全体が憶良の正体と合致したものであろう。
 この反歌は、金銀珠宝も所詮《しょせん》、子の宝には及ばないというので、長歌の実事を詠んだのに対して、この方は綜括《そうかつ》的に詠んだ。そして憶良は仏典にも明るかったから、自然にその影響がこの歌にも出たものであろう。「なにせむに」は、「何かせむ」の意である。憶良の語句の仏典から来たのは、「古日《ふるひ》を恋ふる歌」(巻五・九〇四)にも、「世の人の貴み願ふ、七種《ななくさ》の宝も我は、なにせむに、我が間《なか》の生れいでたる、白玉の吾が子|古日《ふるひ》は」とあるのを見ても分かる。七宝は、金・銀・瑠璃《るり》・※[#「石+車」、第3水準1−89−5]※[#「石+渠」、第3水準1−89−12]《しゃこ》・碼碯《めのう》・珊瑚《さんご》・琥珀《こはく》または、金・銀・琉璃《るり》・頗※[#「犂」の「牛」に代えて「木」、第4水準2−14−90]《はり》・車渠《しゃこ》・瑪瑙・金剛《こんごう》である。そういう仏典の新しい語感を持った言葉を以て、一首を為立《した》て、堅苦しい程に緊密な声調を以て終始しているのに、此一首の佳い点があるだろう。けれども長歌に比してこの反歌の劣るのは、後代の今となって見れば言語の輪廓として受取られる弱点が存じているためである。併し、旅人の讃《ホムル》[#レ]酒[#(ヲ)]歌にせよ、この歌にせ
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