発したが、この山越《やまごえ》は僕には非常に難儀なものであった。いにしえの「熊野道《くまのみち》」であるから、石が敷いてあるが、今は全く荒廃して雑草が道を埋めてしまっている。T君は平家《へいけ》の盛《さかん》な時の事を話し、清盛《きよもり》が熊野路からすぐ引返したことなども話してくれた。僕は一足ごとに汗を道におとした。それでも、山をのぼりつめて、くだりになろうというところに腰をおろして弁当を食いはじめた。道に溢《あふ》れて流れている水に口づけて飲んだり、梅干の種を向うの笹藪《ささやぶ》に投げたりして、出来るだけ長く休む方が楽《らく》であった。
 そこに一人の遍路《へんろ》が通りかかる。遍路は今日小口の宿を立って那智へ越えるのであるが、今はこういう山道を越える者などは殆《ほとん》ど絶えて、僕らのこの旅行などもむしろ酔興《すいきょう》におもえるのに、遍路は実際ただひとりしてこういう道を歩くのであった。遍路をそこに呼止め、いろいろ話していると、この年老いた遍路は信濃《しなの》の国|諏訪《すわ》郡のものであった。T君はあの辺の地理に精《くわ》しいので、直《す》ぐ遍路の村を知ることが出来た。しか
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