力《かんのんりき》にすがるところに盲目的な強味があるとおもいますね。一時流行した覚めた人間にはああいう苦行《くぎょう》生活《せいかつ》は到底出来ませんよ」
「しかしみんな遁生菩提《とんしょうぼだい》でも困りますからね」
「そうかも知れない」
僕らは疲れきって熊野本宮に著いたのは午後二時ごろであった。そこで熊野権現に参拝した。熊野川は藍に澄んで目前を流れている。きょうの途中に、山峡からたまたま熊野川が見え出し、発動機船の鋭い音が山にこだまさせながら聞こえていたが、あれも山水に新しい気持を起させた。
この山越は僕にとっても不思議な旅で、これは全くT君の励ましによった。しかも偶然二人の遍路に会って随分と慰安を得た。なぜかというに僕は昨冬、火難《かなん》に遭《あ》って以来、全く前途の光明《こうみょう》を失っていたからである。すなわち当時の僕の感傷主義は、曇った眼一つでとぼとぼと深山《しんざん》幽谷《ゆうこく》を歩む一人の遍路を忘却し難かったのである。しかもそれは近代主義的遍路であったからであろうか、僕自身にもよく分からない。
底本:「山の旅 大正・昭和篇」岩波文庫、岩波書店
2003(平成15)年11月14日第1刷発行
2007(平成19)年8月6日第5刷発行
底本の親本:「時事新報」
1928(昭和3)年2月10日〜13日
初出:「時事新報」
1928(昭和3)年2月10日〜13日
入力:川山隆
校正:門田裕志
2009年6月21日作成
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