えてあるのは当山の蛇柳です』
『右手鳥居なかの一本は奥州仙台|伊達政宗《だてまさむね》公。赤いおたまやは井伊かもんの守』かういふことを幕無しに云つて除《の》けた。
『太閤《たいかふ》様が朝鮮征伐のとき、敵味方戦死者|位牌《ゐはい》の代りとして島津へうごの守よしひろ公より建てられた』といふ石碑の面《おもて》には、為高麗国在陣之間敵味方|閧死《こうし》軍兵皆令入仏道也といふ文字が彫《ほり》つけてあつた。さういふところを通りぬけ、玉川に掛つてゐる無明《むみやう》の橋を渡つて、奥の院にまゐり、先祖代々の霊のために、さかんに燃える護摩《ごま》の火に一燈を献じた。これは自身の諸|悪業《あくごふ》をたやすためでもある。それから裏の方にまはつて、夕暮に宿坊に帰つた。
その夜、奥の院に仏法僧鳥《ぶつぽふそう》の啼《な》くのを聴きに行つた。夕食を済まし、小さい提灯《ちやうちん》を借りて今日の午後に往反《わうへん》したところを辿《たど》つて行つた。この仏法僧鳥は高野山に啼く霊鳥で、運|好《よ》くば聴ける、後生《ごしやう》の好くない者は聴けぬ。それであるから、可なり長く高野《かうや》に籠《こも》つたもので
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