いれう》であり、人工説などの成立つ余裕も何もなかつた。T君も私もしばらく苦笑して居らねばならなかつた。ただ私等はおもふ存分仏法僧鳥のこゑを聴き、数日してO先生が山の上にのぼつて来られたとき、T君も私もO先生のまへに降伏してしまつた。
私の写生文はこれでしまひであるが、約《つづ》めて一言とすることが出来る。どうも高野山上の仏法僧鳥のこゑは、あれは人工ではなかつた。あれを人工だと疑ひ、それを立証しようとした学説には手落があつて、結局その学説は負けた。けれどもかういふことが云へるだらう。ああいふ夜鳥《やてう》は早晩高野山上から跡を絶つかも知れない。さうして玩具《おもちや》の仏法僧鳥をばあそこの店で売る時が来るかも知れんとかういふのである。(昭和二年十二月)
底本:「斎藤茂吉選集 第八巻」岩波書店
1981(昭和56)年5月27日第1刷発行
初出:「時事新報」
1928(昭和3)年1月4日、5日
入力:kamille
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年1月7日作成
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