ぶし一本外に味噌一重、永沢清左衛門。焼かれい三枚、松原村山本善十郎。金五銭、斎藤富右衛門。金十銭、大沢才兵衛。以上である。同じ村から八軒祝を貰つてをり、他村から一軒貰つて居る。他村の松原村と記してあるのは、母の姉が嫁入つたところである。それから最後に、大沢才兵衛とあるのは、父の弟で、漆の芽で僕の腕に小男根を描いてくれた童子の父である。明治十五年頃の東北の村ではこんな程度であつた。
僕は留学から帰つて来て、家兄に頼んで少しばかり父の日記から手抄して貰つたのであつた。そのうちに僕に銭《ぜに》を呉れたのを記したところが処々に見つかる。明治十九年[#「明治十九年」に白丸傍点]十月十五日曇り。二銭柿代富太郎、茂吉え遣《つかは》し。明治二十年[#「明治二十年」に白丸傍点]七月十五日。四銭茂吉え遣し。明治廿三年[#「明治廿三年」に白丸傍点]正月七日。十八銭、茂吉授業料正二二ヶ月分。三銭茂吉え遣し。十日休日。三銭茂吉え遣し。十五日休日。一銭茂吉え遣し。七月二日。五銭茂吉|書物代《しよもつだい》。十二日。四銭茂吉え遣し。十二月廿四日。二十二銭茂吉|薬代《くすりだい》。こんな工合である。ここに二十二銭茂
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