の工合があやしくなつてきてたうとう『御山《おやま》』は荒れ出して来た。豪雨が全山を撫《な》でて降つてくるので、笠《かさ》は飛んでしまひ、蓙《ござ》もちぎれさうである。大木の枝が目前でいくつも折れた。それでも先達《せんだつ》はひるまずに六根清浄御山繁盛《ろくこんしやうじやうおやまはんじやう》と唱へて行つた。さうするうち、渡るべき前方の谿は一めんの氷でうづめられてそれが雨で洗はれてすべすべになつてゐる。下手《しもて》の方は深い谿に続いてひどくあぶないところである。僕は恐る恐るその上を渡つて行つたが、そこへ猛風が何ともいへぬ音をさせて吹いて来た。僕は転倒しかけた。うしろから歩いて来た父は、茂吉《もきち》匍《は》へ。べたつと匍へ。鋭い声でさういつたから僕は氷のうへに匍つた。やつとのことでしがみ付いてゐたといふ方が好いかも知れない。さういふことを僕はおぼえてゐる。
『語られぬ湯殿《ゆどの》にぬらす袂《たもと》かな』といふ芭蕉の吟のあるその湯殿の山に僕は参拝して、『初まゐり』の願《ねがひ》を遂げた。鉄《かね》の鎖で辛うじて谿底の方へくだつて行つたことだの、それから、谿間の巌《いは》から湯が威勢よく
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