えた。癒えたが痂《かさぶた》を結んだところが瘢痕《ばんこん》組織で補はれたと見えてそこに痕《あと》が残つた。その小さい男根図の痕は、小学校を出て中学校に入り中学校を出て高等学校に入るころまでは残つてゐた。僕は風呂に入つたりするとその痕を凝視して追憶にふけることもあつた。然るにその痕はいつのまにかおぼろになつて行き今ではもはやその形を認めることが出来なくなつた。僕もそろそろ初老期へ近づいて来た。南|独逸《ドイツ》の客舎で父の死報に接した時も僕は忽然《こつぜん》として漆瘡のことを想出《おもひだ》し、床のなかで前膊の内面を凝視したけれども形はすでになくなつてゐた。
漆瘡に、生蟹黄調塗とか、蟹沫塗之とか、または蟹殻滑石研細※[#「てへん+參」、121−下−9]之乾者蜜和塗などといふ療方のあるのは漢医方に本づくのであつた。和文に漆まけを癒《いや》しとあるのも亦《また》さうである。父の拵《こしら》へて呉れたものはそんなものではなかつた。油薬のやうなどろどろしたものであつたが、その薬の色やなんかはどうしてもおもひ起すことが出来ない。そのあたりの父の顔も分からない。努めておもひ浮べようとすると、晩年
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