たことが、何だか一種の哀《あはれ》ふかいやうな気持で僕の心に浮んでくることもあつたのである。
父は三山《さんざん》や蔵王山《ざわうさん》あたりを信心して一生|四足《しそく》を食はずにしまつた。僕の寝小便がなかなか直らぬので、牛《ぎう》が好い、馬《ば》が好い、犬《いぬ》が好いなどと教へて呉れるものがあつたが、父はわざわざ町まで行つて、朝鮮|人蔘《にんじん》二三本買つて来てくれたことをおぼえて居る。それであるから、兄が十五になつて、若者仲間に入つてから間もなく、大雪が降つてそれの固まつた或る晩に、鮭《さけ》の頭に爆発する為掛《しかけ》をして、狐《きつね》六|疋《ぴき》を殺した。六疋の狐は銘々行くところに行つて死んでゐたさうである。垂れてゐる血を辿《たど》つて行くと其処《そこ》に狐が死んでゐるので、一つなどはそれでも、林の中の泉の傍まで行つてゐたさうである。兄達五六人の若者は夜業の藁為事《わらしごと》が済んでからそれを煮て食つた。兄は爆発為掛の旨《うま》く行つたことを得意に話しながら、どうも少し臭くて駄目だな。牛《ぎう》よりも旨くないな。こんなことを話した。それを次の日父が聞きつけて非常に怒り、何でも狐のことをひどく勿体無《もつたいな》がつたことをおぼえてゐる。
父は痰を病んでから、いつのまにか何かの神に願《ぐわん》を掛けて好きなものを断つことを盟《ちか》つた。ただ、酒も飲まず煙草《たばこ》も吸はぬ父は、つひに納豆《なつとう》を食ふことを罷《や》めた。幾十年も納豆を食ふことを罷めて、もう年寄になつてから或る日納豆を食つたが、どうも痰に好くない。また痰がおこりさうだなどと云つたことがある。父はその時から命のをはるまで納豆を食はずにしまつただらうと僕はおもふ。父は食べものの精進《しやうじん》もした。併《しか》しさういふ普通の精進の魚肉《ぎよにく》を食はぬほかに穀断《ごくだち》、塩断《しほだち》などもした。みんなが大根を味噌《みそ》で煮たり、鮭の卵の汁などを拵《こしら》へて食べてゐるのに、父はただ飯に白砂糖をかけて食べることなどもあつた。併し僕には何のために父がそんな真似を為《す》るかが分からなかつた。
3 新道
六歳ぐらゐになつた僕を背負つて、父は早坂新道《はやさかしんだう》を越えて上山《かみのやま》へ向つて歩いた。雨あがりの道はよく固まつて、天がよく晴れて
前へ
次へ
全27ページ中8ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング