《かぐう》にあつてこのことを想出《おもひだ》して、その時の父の顔容を出来るだけおもひ浮べて見ようと努めたことがあつた。帰国以来僕は心に創痍《きず》を得て、いまだ父の墓参をも果《はた》さずにゐる。家兄の書信に拠《よ》ると八十吉は十二で死んでゐるから僕の十一のときであつた。八十吉は金瓶村宝泉寺に葬られてあつて、円阿香彩童子といふ戒名をもつてゐる。(大正十四年九月記)
2 痰
父は長い間、痰《たん》を煩つてゐた。小男で痩《や》せた父が咳込《せきこ》んで来ると、少し前かがみになつて、何だかお腹《なか》の皮でも捩《よぢ》れるやうに咳込むのがいかにも苦しさうであつた。ところが、その苦しさうな咳が一とほり済むと、イツヘ、イツヘ、イツヘ、イツヘといふ咳が幾つか続いて、それから、イツシ、イツシ、イツシ、イツシといふ咳になる。その工合がどうもをかしいので、幼童の僕がその真似《まね》をしたものであつた。仏壇の勤めなどがまだ終らぬうちに父が咳込んで来てさういふ異様な咳になると、勝手元で働く母の傍にくつついてゐながら僕がイツシ、イツシ、イツシ、イツシといふ真似をして、母から睨《にら》まれたりするけれども、母もたうとう笑つてしまふのであつた。
年に一度、多くは冬を利用して人形芝居が村にかかつた。夕飯を終へてから、翁媼《をうあう》も、婦《をんな》も孫も、みんな、深く積つた雪がかんかんと氷る道を踏んでその人形芝居を見に行つた。時にはひどい吹雪の夜のことなどもあつた。その人形芝居には、美しい娘をさらつてゐる大猿を一人の侍《さむらひ》が来て退治したり、松前屋|五郎兵衛《ごろべゑ》が折檻《せつかん》されて血を吐いたり、若い女房がひとりの伴を連れて峠を上つて行くと、そこに山賊《さんぞく》が出て来たりした。杉の木立の向うは暗闇《くらやみ》で星が輝いてゐるやうにも拵《こしら》へてあつた。ある晩に父は僕を背中に負つてその人形芝居を見に行つたときにも、父はひどく咳込んでいかにも困つた様子であつたが、僕がまたそれの真似して、それでも穉《をさな》ごころに悪いことをしたやうな気持でゐたことをおぼえてゐる。
父の痰持《たんもち》は僕の生れる前からであつた。祖父が隠居してから楽みに飼つた鯉《こひ》が、水が好いので非常に殖え、大きな奴がいつも沢山泳いでゐた。雪がもう二三度降つてからのことであつたさうである。
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