にあつた。
赤彦君の安らかな顔貌は一瞬何か笑ふに似た表情を口脣《こうしん》のところにあらはしたが、また元の顔貌に帰つた。その時不二子さん以下の血縁者はかはるがはる立つて赤彦君の口脣を霑《うるほ》した。それから主治医伴さんの静粛な診査があり、赤彦君の息は全く絶えた。時に、大正十五年三月廿七日午前九時四十五分である。
続いて朋友《ほういう》、門人の銘々が赤彦君の脣《くらびる》を霑した。その時僕等は、病弱のゆゑに、師の臨終に参ずることの出来ない土田耕平《つちだかうへい》君をおもはざることを得なかつた。けふは天が好く晴れて、雪がどんどん解けはじめてゐる。友島木赤彦君はつひに歿した。痩せて黄色になつた顔には、もとの面影がもはや無いと謂《い》つても、白きを交へて疎《まば》らに延びた鬚髯《しゆぜん》のあたりを見てゐると、※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の村人《むらびと》時代の顔容をおもひ起させるものがあつた。
底本:「斎藤茂吉選集 第八巻」岩波書店
1981(昭和56)年5月27日第1刷発行
初出:「改造」
1926(大正15)年5月
入力:kamille
前へ
次へ
全27ページ中26ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング