最後の言葉であつたのであらう、といふことであつた。
それからかういふことも話して呉れた。廿三日、僕等友人が皆辞して帰つた日である。その日の夕食後、長女初瀬さんが、『今夜はお父さんはえらい楽《らく》のやうだね』と云つたさうである。さうすると赤彦君は、『大敵《たいてき》退散した』と云つて笑つたさうである。『大敵』といふのは、赤彦君が静かに静かに籠《こも》つてゐたかつた病牀《びやうしやう》に、どやどやとつめかけた平福・岩波・中村・土屋・僕その他の友人、門人を謂《い》つたのであつた。さうして赤彦君はつづいて、『来る人も遠いところを容易ではないよ。感謝しなければならないよ。斎藤はおれの体を気にして来て呉れたし』と云つたさうである。その言葉は遅く、切れ切れで、幽かなのである。一語いふにも骨が折れるのである。
炬燵に俯伏して頭のところに手を組んでうつらうつらしてゐた赤彦君は、その夜の十時過ぎに居合せた家族、親戚《しんせき》の皆を枕頭に呼んで、『今晩おれはまゐるかも知れない』と云つたさうである。併《しか》し暫くすると、枕頭でみんなに茶を飲ませ、『これで解散だ』といつたさうである。それが廿三日夜のこ
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