車で新宿駅を立つた。橋本福松、高木今衛、馬場謙一郎の三君同道した。夜が更けても目が冴《さ》えてなかなか眠れない。甲府駅で弁当を買つて食つた。
『おや。雪だ雪だ』暫くして汽車が信濃に入つたとおもふころ、かうひとりが云つた。
『成程たいへんな雪だ。いつこんなに降つたかな。ゆうべあたりかも知れんな』かうまた一人が云つた。二日まへ此処《ここ》を通つた時には雪はすつかり消えてゐたからであつた。
『おや。まだ降つてゐますよ。吹雪ですよ』『なるほど、こいつはひどい。かうして見ると信州の気候はやつぱり鋭いんだね』こんなことをも云ひ合つた。島木赤彦君の息は既に絶えてゐるだらうとも思ひながら、こんな会話をするのであつた。暁天に近い信濃の国は一めんの雪で蔽《おほ》はれ、それを烈風が時々通過ぎて、吹雪の渦を起させてゐるのであつた。

     六

 三月二十六日午前五時四十分に、四人は急いで上諏訪の停車場で降りた。町の家々は、未だひつそりとして居る。雪のさかんに降るなかを四人は布半《ぬのはん》旅館にたどりついて、戸を破れる程たたいた。
 布半には東京から来た人々はもう誰も宿《とま》つてゐなかつた。赤彦君はも
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