がかけてあつて、そこに諏訪の諸君があたつてゐた。暫くして先づ伴さん、中村憲吉君、僕の三人が部屋に入つて行つた。部屋は新築したばかりの書斎である。いままでのは、書斎も客間も一しよで、書きものなどの散らばつてゐる時には困るといふので、元の土間の処に書斎を造つたのであつた。そこの炬燵に赤彦君は俯伏《うつぶ》して、頭のところに両手を固く組んでゐる。伴さんは来意《らいい》を告げた。すると赤彦君は辛うじて顔をあげ、それから両手を張つて姿勢を正し、そして、『ありがたう』と云つた。こゑは低くそして幽《かす》かであつた。そしてその儘また俯伏してしまつた。赤彦君の顔面は今は純黄色に変じ、顔面に縦横《じゆうわう》無数の皺《しわ》が出来、頬《ほほ》がこけ、面長《おもなが》くて、一瞥《いちべつ》沈痛の極度を示してゐた。
『だいぶ痩《や》せたなあ』と僕は云うた。すると赤彦君は、『冷静だ。極めて冷静だ』と云ひながらその儘俯伏してゐた。僕は咽《のど》のつまるやうにおぼえて唯『うん』と云うたのみであつた。僕はその時、三月十二日に、古今《ここん》書院主人橋本福松君が※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]蔭山房をたづねた時に、赤彦君がこゑを挙げて泣いたといふことを思ひ出したのであつた。赤彦君は暫くして極く静かに、『伴先生は毎日|診《み》て下さるが斎藤君は久しぶりだから、どうか見て呉れたまへ』と云つた。僕は伴さんから聴診器を借りて型《かた》のごとくに診察をした。その間赤彦君は我慢をして起直《おきなほ》つてゐた。それからまた俯伏してしまつた。暫くして僕は、『画伯も、岩波主人も来てゐるから、どうか会つて呉れたまへ』といふと、赤彦君は『どこに』と大きなこゑを出して顔をあげた。そして黄色の大きな眼《まなこ》を※[#「目+爭」、第3水準1−88−85]《みは》つた。『此処《ここ》に一しよに来た』といふと、今度はただ点頭《うなづ》いた。そこに平福・岩波・土屋の三君が入つて来、中村・藤沢の二君も交つて談笑常の如くにした。赤彦君は新来の客には一々丁寧に会釈《ゑしやく》をし、をかしい時には俯伏した儘笑つた。それから、『若い連中も来てゐるから会つて呉れないか』といふと赤彦君はただ点頭いた。そこに加納暁、結城哀草果、高田浪吉、辻村直の諸君が入つた。赤彦君は一寸《ちよつと》うなづき、『おれはなるたけ物を云はぬが、君等はいろ
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