きどころがない。……坐つてゐても玉のやうな汗が額から出る。いかんとも為様《しやう》がないとさう書いてくれ。……そして物をいふと、それだけ疲労するから、静かにしてゐると書いて呉れ、医者もさういつてゐるし、それが己には薬だ』かう云つた。古実君は『かしこまりました』といふと、『用件はそれだけ』『あつちで寝て行つて呉れ』と云つた。
その夜の十時頃、妹の田鶴《たづ》さん、不二子さん、水脈《みを》さん、初瀬《はつせ》さん、健次君、丸山君、藤沢君等を部屋に呼び、『おれはなるべく物を云はぬから、そつちでお茶を飲んで呉れ』と云つた。間もなく、辛うじて身を起し、『明治四十一年浅間山へのぼる。雲の海の上にあらはるる信濃のやま上野《かみつけ》のやま下野《しもつけ》の山』『明治四十一年十一月とおぼえておけ。日本新聞に出てゐる』と云つた。
その時、赤彦君のうしろに猫がうづくまつて咽《のど》を鳴らしてゐた。これは赤彦君がいつも猫を可哀がるので傍《そば》に来てゐるのであつた。皆が、猫の話をし、夏樹《なつき》さんの猫をいぢめる話などをしてゐると、赤彦君は、『初瀬、歌の原稿を書け』と云つた。そして、『わが家の猫はいづこに行きぬらむこよひもおもひいでて眠れる』と云つた。暫《しばら》くして、『ちがつた。ちがつた。猫ぢやない。犬だわ』と云つて笑つた。これは数日前に居なくなつた犬のことを気にして咏《よ》んだ歌である。
[#ここから2字下げ]
わがいへの犬はいづこにゆきぬらむこよひもおもひいでてねむれる
[#ここで字下げ終わり]
その後は遂に歌を作らずにしまつた。この歌が赤彦君の最終の吟となつたのであつた。
三
廿二日朝、土屋君は僕を伴《ばん》さんのところに連れて行つて呉れた。僕は初対面の挨拶《あいさつ》をし、初診以来熱心の治療に対して謝した。伴さんはその前にも、赤彦君の病状に就いて委しく通信され、また黄疸のあらはれた三月一日には態々《わざわざ》電話で知らせて呉れたのであつた。午《ひる》過ぎに、平福・岩波・中村・土屋の諸君と伴さんと僕と※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]蔭《しいん》山房に出かけた。
家に入るところの道は霜解《しもどけ》がして靴がぬかつた。松樹《まつのき》はもとの儘《まま》だが、庭は広げられてあつた。大正十年の夏に僕夫婦の一夜|宿《とま》つた部屋には炬燵《こたつ》
前へ
次へ
全14ページ中4ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング