なが暫く休んで朝食をした。その間に赤彦君を看護《みまも》つてゐたが、平安な顔貌に幾らか苦しみの表情が出て来た。それを僕が凝視してゐると、幾ばくもなくその表情が取れて行つて、もとの平安な顔になつた。ときどき唸があつて、それが矢張り十ばかり続いた。九時に脈搏が触れなくなつたので、居合《ゐあは》せた人々が尽《ことごと》く枕頭に集つた。
厳父、夫人の不二子さん、健次さん、周介さん、夏樹さん、初瀬さん、水脈《みを》さん、妹の田鶴《たづ》さん、弟の葦穂さん、その他の血族。長野から来られた守屋喜七さん。諏訪の田中一造、五味繁作、森山汀川、両角《もろずみ》喜重、丸山東一、藤森省吾、両角丑助、堀内皆作の諸君。東京から来た金原省吾、白水吉次郎、鹿児島寿蔵の諸君。京都から来た宇野喜代之介、竹尾忠吉の諸君。それに上に記した岡麓、岩波茂雄、橋本福松、藤沢古実、高木今衛、馬場謙一郎、今井邦子、築地藤子、阪田幸代等の諸君。僕が姓名を知らずにしまつて、また問合せるのに時の無い約十名。あはせて約四十名が枕頭に集つた。北海道の令弟塚原|瑞穂《みづほ》さん、それから小原節三、平福百穂、森田恒友、中村憲吉の諸君はいまだ途中にあつた。
赤彦君の安らかな顔貌は一瞬何か笑ふに似た表情を口脣《こうしん》のところにあらはしたが、また元の顔貌に帰つた。その時不二子さん以下の血縁者はかはるがはる立つて赤彦君の口脣を霑《うるほ》した。それから主治医伴さんの静粛な診査があり、赤彦君の息は全く絶えた。時に、大正十五年三月廿七日午前九時四十五分である。
続いて朋友《ほういう》、門人の銘々が赤彦君の脣《くらびる》を霑した。その時僕等は、病弱のゆゑに、師の臨終に参ずることの出来ない土田耕平《つちだかうへい》君をおもはざることを得なかつた。けふは天が好く晴れて、雪がどんどん解けはじめてゐる。友島木赤彦君はつひに歿した。痩せて黄色になつた顔には、もとの面影がもはや無いと謂《い》つても、白きを交へて疎《まば》らに延びた鬚髯《しゆぜん》のあたりを見てゐると、※[#「柿」の正字、第3水準1−85−57]《かき》の村人《むらびと》時代の顔容をおもひ起させるものがあつた。
底本:「斎藤茂吉選集 第八巻」岩波書店
1981(昭和56)年5月27日第1刷発行
初出:「改造」
1926(大正15)年5月
入力:kamille
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