双葉山
斎藤茂吉
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強い双葉山が、四日目に安芸ノ海に負け、五日目に両国に負け、六日目に鹿島洋に負けたので、贔屓客が贔屓するあまり、実にいろいろの事をし、医者の診察をすすめたり、心理学の大家の説を訊いたり、いろいろの事をしてゐる。
当の双葉山関はどうかといふに、自分でもそんなに粗雑な相撲を取つてゐるとはおもはぬし、体の調子もそんなに悪いとはおもはぬのに、『どうして負けるのか自分でも解りません。負け癖がついたんでせう』と云つてゐる。
歌舞伎座の菊五郎丈が大に双葉山に同情して語つたなかに、『あの人のことだから、きつと大事に相撲をとつたにちがひないが、相手は総がかりで双葉山を研究してゐるし、敢て油断とはいはないが、そこに何かあるのではないか』云々といふことを云つてゐた。
この、『総がかりの研究』云々といふのは、旨いことを云つたもので、太刀山の強かつた時分には、どの部屋の力士も、みんな太刀山をどうして負かし得るかといふ工夫ばかりしてゐた。そこで栃木山が太刀山に勝ち、大錦が太刀山に勝つたのも、その取り口をこまかく調べると、太刀山の相撲の癖を、実にまんべんなくおぼえて、その虚に乗じたものであつた。
今度の双葉山の場合は、自分はこのごろ相撲に遠ざかつたので、よく訣をしらないが、太刀山の場合は、正面から順当に行つたのでは、どうしても勝味のないものであつた。そこで何かの虚をねらつてその虚を衝いたものである。して見れば、双葉山の場合も、もうそろそろさういふ状況にあつてもいい頃だとおもへる。大勢がたかつて双葉山を調べるなら、何かの『虚』が出て来る筈だからである。この『虚』の問題も、今回の敗因の一つと考へ得るだらう。併し、私はそれよりも身体的の原因に重きを置かうとしてゐる。私は、双葉山の罹かつたアメーバ赤痢といふのを、双葉山自身よりも、ほかの双葉山批評
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