れは父親にどこか似てゐるところがあるんだ。子どもは動物みたいなもんだからそれを勘づくんだ。それは血筋といへば血筋なんだが』云々。兄貴の動物説もまんざら誤ではあるまいと思つて、いまだに忘れずに居る。『孫は子よりも可愛いと申しますね』と人にいはれる。これは実際そのやうである。併《しか》し、何のためにさういふものであるのか、私にもよく分からない。私が二階に臥《ね》てゐると、二人の孫が下の廊下を駆《か》ける音がする。その音を聞いてゐると、何ともいへぬ可愛い感じである。私は、これが孫の可愛い感じといふものだらう、理窟《りくつ》はいろいろあるかも知れんが、吉士が佳女のこゑに心|牽《ひ》かれるやうなものかも知れん、私が医科大学一年生のとき、独逸《ドイツ》のヴエルヴオルン教授の生理学汎論を読み、タクシスの説を学んだことがある、孫が可愛いなどといふのは、煎《せん》じつめれば、何か知らんあんなものでもあるのかも知れないなどと思ふことがある。
私の祖父は一面は酒客でデカダン気味のところのあつた人だが、孫の私なども可愛がつてくれた、木苺《きいちご》の熟す時分になると、七歳ぐらゐになる私を連れて、山の谿流に沿
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