中横] 依羅娘子。 右の人麿の歌の次に、柿本朝臣人麿の妻依羅娘子人麿と相別るる歌として、『な念ひと君はいへども逢はむ時いつと知りてか吾が恋ひざらむ』(巻二、一四〇)が載つて居り。また、人麿が石見で死が近づいた時に、『鴨山の磐根し纏《ま》ける吾をかも知らにと妹が待ちつつあらむ』(巻二、二二三)と咏み、その歌の次に、人麿が死んだ時、妻|依羅《よさみ》娘子の作れる歌二首として、『今日《けふ》今日《けふ》と吾が待つ君は石川の貝に[#ここから割り注]一に云ふ谷に[#ここで割り注終わり]交りて在りといはずやも』(二二四)。『直《ただ》の逢《あひ》は逢ひかつましじ石川に雲立ち渡れ見つつ偲《しぬ》ばむ』(二二五)といふのが出て居る。人麿の長歌で見ると、新たに情交を結んでまだ間もない女でもあるやうだが、その次に、『な念ひと』の歌が載つてゐるから、この万葉の記載に拠るとせば、第一の石見娘子《いはみのをとめ》[#ここから割り注]従便利名[#ここで割り注終わり]と依羅娘子《よさみのをとめ》とは同一人だといふことになる。そして石見で得た妻だといふことになる。それから、人麿が死んだ時に、依羅娘子は京師に止まつてゐ
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