と君はいへどもあはん時いつと知てか吾こひざらんとよみしは、載《のせ》し次《つい》でに依《よれ》ば、かの石見にて別れしは即此娘子とすべきを、下に人まろの石見に在て身まからんずる時、しらずと妹が待つつあらんとよみ、そを聞てかの娘子、けふけふとわが待君とよみたるは、大和に在てよめるなれば、右の思ふなと君はいへどもてふは、石見にて別るるにはあらず、こは朝集使にてかりにのぼりて、やがて又石見へ下る時、むかひめ依羅娘子は、本より京に留りて在故にかくよみつらん、〔[#ここから割り注]国の任に妻をばゐてゆかざるも、集中に多し、[#ここで割り注終わり]〕あはん時いつと知てかといふも、かりの別と聞えざるなり、然ればかの妻の死て後の妻は依羅娘子なるを、任にはゐてゆかざりしものなり、人まろ遠き国に年ふれど、此娘子|他《ヒト》にもよらで在けんも、かりの思ひ人ならぬはしらる』云々。これで見ると、真淵は四人説で、人麿が妻の死を慟んだ時のは一人は妾《おもひめ》、一人は正妻《むかひめ》と考へてゐる。この二人は死んだ。それから石見から別れて来た妻は、石見で得た妾《おもひめ》で、その時の正妻は依羅娘子で、これは京に止まつて
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