で一人夕食を済した。そして、いつしか一人で 〔Gu:rtel〕 街を歩いてゐた。僕はステツキも持たずに、かうべを俯《ふ》して歩いてゐる。街道が大きいので、人どほりがさう繁くないやうに思はれる。平坦な街道がいつの間にか少し低くなつて、そこを暫く歩いてゐる。
 太陽が落ちてしまつても、夕映《ゆふばえ》がある。残紅がある。余光がある。薄明がある。独逸語には、〔Abendro:te〕 があり、ゆふべの 〔Da:mmerung〕 があつて、ゲーテでもニイチエあたりでも、実に気持よく使つてゐる。これを日本語に移す場合に、やまと言葉などにいいのが無いだらうか。そして、夕あかり。うすあかり。なごりのひかり。消のこるひかりなど、いろいろ頭のなかで並べたことなどもあつた。欧羅巴の夏の夕の余光はいつまでも残つてゐた。
 僕は少し感傷的な気分になつて、ゆふべの余光のなかを歩いてゐる。さうすると、いそがしい写象が意識面をかすめて通る。いまやつてゐる僕の脳髄病理の為事《しごと》も、前途まだまだ遠いやうな気がする。まだ序論にも這入《はひ》らないやうな気がする。きのふの午後に見た本屋の蔵庫にあるあの心理の雑誌は、いく
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