黷ナあるかも知れないと思ふこともある。なほしばらく考ふべきである。
「接吻」の語を、聖書では「くちづけ」と訓じてゐること上記のごとくである。しかし、古来日本では「口づけ」をば口癖《くちぐせ》と同じ意味に使つて来たけれども、接吻の意味には用ゐなかつたやうである。
 秘かに思ふに、接吻を「口づけ」と訓《よ》ませたのは、聖書の飜訳以来のことではなからうか。そこで、言海でも、辞林でも、言泉でも、稍古いところで雅言集覧、俚言集覧、倭訓栞あたりでも「口づけ」を接吻の義には取つてはゐない。然るに近頃新しい辞書が出来、古い辞書も増補された。その新しい辞書、増補された辞書を見ると、「口づけ」の条に、接吻に同じなどと瞭然書き記してあるやうになつた。中には、キス或は接吻に同じといふものもある。これは言語変遷の一つの例と謂つて好い。
 そんなら、接吻に相当する日本語は古来なかつたかといふに、それはあつた。而して、「口すひ」といふ語で代表されてゐた。秀吉が小田原陣から大阪へ送つた手紙に、「くちをすはせ」といふのがある。つまりあれである。それから、「二つ並んで舞ふ独楽《こま》のちよつとさはつて退いたるは人目忍んで口吸ひ独楽」などいふのもある。なほ端的なのには、「すはせつすひつしごきあひ」などといふのもある。なほ求むれば幾らでもある。ただ、これを万葉、古今、八代集、十三代集の和歌などに見出すことが出来ないのである。
 日本古来の文学には、「いざせ小床《をどこ》に」「七重《ななへ》著《か》るころもにませる児らが肌はも」「根白《ねじろ》の白ただむき」「沫雪《あわゆき》のわかやる胸を」「真玉手《またまで》、玉手さしまき、ももながに、いをしなせ」「たたなづく柔膚《にぎはだ》すらを」「にひ膚ふれし児ろしかなしも」などとは云つてゐても、官能を局部的にあらはす「口吸」の用語例は殆ど皆無と謂つてよい。おもふに古代の日本人も「口吸」をあからさまにいふことが、得手でなかつたのかも知れぬ、宇治拾遺あたりの「口すひ」の語は、近世の洒落《しやれ》文学の方嚮《はうかう》に発達して行つた。
 然るに、明治の文学は西洋流を交へたから、与謝野鉄幹さんあたりの国詩革新のこゑを急先鋒として、「あまき口づけ」といつた調べの短歌なり新体詩なりが、幾つも出た。
 接吻のことを漫然と書いて来て、〔sittliche Entru:stung〕
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング