湲として流れて居る。自分にはこの漢熟語は未だ活きて居るが、自分の孫ぐらゐの時代になると、もはやかういふ熟語はその語感が活きてゐないだらう。然らば、ただ、音をたてて流れてゐるとだけに表はすだらう。そこを通つた水は合流して、一つの小さいいきほひをなして最上川にそそぐのである。岸には砂が溜まり、小さい砂丘の如き形をなしたところもあり、増水のときに水に浸つたのが未だ乾ききれずに、自分の穿いたゴム靴が度々ぬかつた。其処の砂地の下に石原になつたところがある。これはもつとひどい増水の時に出来た石河原であらう。砂の上には鶺鴒らしい鳥の足跡などがある。かくの如くにして川幅のひろい、平明な最上川の水に合流してゐるのである。岸に近い水中には小さい魚の子が泳いで、銘々日光の影を持つて居る。これなども病後の自分にとつて哀憐に堪へぬ光景だといつてよい。この両岸の高いのが、つまり大袈裟にいふと断崖が、向う岸から見ると一つの割目になつて居て、一種の趣をなして居るのであつた。
 この平凡な細い支流は、五十沢川《いさざはがは》といひ、源を追尋すると畑地の間をとほり、今宿の部落手前にかかり、人家の前では洗濯をされたり、野菜を洗はれたり、汽車の線路を越え、山地に入り、下五十沢《しもいさざは》、上五十沢《かみいさざは》の部落を通り、なかなか遠いところから発してゐるので、自分はそこまでたどることは出来ぬのであつた。
         *
 この町の東端にオボロケ川といふ支流が灑いで居る。この名は尾花沢町の一部に朧気(オボロケ)といふ処があり、この川が其処を通過するのでこの名がある。このオボロケといふのはどういふ意味であらうか。朧気といふのは必ず当字に相違ない。さうしてひよつとすると愛奴語か何かであるのかも知れない。
 大石田から尾花沢にかけ、石器時代の遺物が出で、大石田浄願寺境内などでは雨後に石鏃が露出するくらゐであるから、必ず愛奴語あるひはその訛などが遺存してゐるやうにもおもはれ、金田一博士などに聞いて見たい言葉である。この支流の川口は大体三間ぐらゐで、ふだんは川原になつて居りその川原を流が三つにも四つにも分かれて、最上川にそそいでゐるのである。それだから、護謨の長靴を穿けばそこを楽に渡ることも出来る。夏には子供らが来て、小石で堤防やうのものを作つたりしては遊んで居るし、十一月の今時分になると、この川の岸に
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