#二の字点、1−2−22]一個の球《ボール》あるのみ。而して球は常に防者の手にあり。此球こそ此遊戯の中心となる者にして球の行く処、即ち遊戯の中心なり。球は常に動く故に遊戯の中心も常に動く』云々に本づくのであつた。
 明治卅一年、子規はベースボールの歌九首を作つた。明治卅一年といへば、子規の歌としては最も初期のもので、かの百中十首の時期に属する。
『久方のアメリカ人のはじめにしベースボールは見れど飽かぬかも』。子規も明治新派和歌歌人の尖端を行つた人であるが、『久方の』といふ枕言葉は天《あめ》にかかるものだから同音のアメリカのアメにかけた。かういふ自在の技法をも子規は棄てなかつた。また一首の中に、洋語系統のアメリカビト、ベースボールといふ二つの言葉を入れ、そのため、結句には、『見れど飽かぬかも』といふやうな、全くの万葉言葉を使つて調子を取らうとしたものである。つまり子規のその時分の考へは、言葉といふものは、東西古今に通じて、自由自在を目ざしたものであり、その資材も何でもかでもこだはることなく、使ひこなすといふことであつた。ベースボールの歌を作つたのなどもやはりさういふ考へに本づいたものであ
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