めてであった。
 一隊は広瀬川の此岸《しがん》におり、敵らしい一隊は広瀬川の対岸の山かげあたりにいる。戦闘が近づくと当方隊の一部は馬から下りて広瀬川の岸に散開して鉄砲を打ちかけた。そうすると向うからも鉄砲の音が聞こえてくる。その音は私には何ともいえぬ緊張した音である。暫《しば》らく鉄砲を打っていたかとおもうと、当方の一隊は尽《ことごと》く抜剣し橋を渡って突撃した。父も私もこういう光景を見るのは生れてからはじめてであった。私の元気はこれを見たので回復して日の暮れに作並《さくなみ》温泉に著《つ》いた。その日の行程十五里ほどである。
 翌日仙台に著いて一泊し、東北での城下仙台に目のあたり来たことを感じ、旅館では最中《もなか》という菓子をはじめて食った。当時長兄が一年志願兵で第二師団に入営していたのに面会に行ったが機動演習で留守であった。そこで一日置いて朝仙台を発し、夜になって東京の上野駅に著いた。そして、世の中にこんな明るい夜が実際にあるものだろうかとおもった。数年を経て不夜城と言う言葉を覚えたが、その時も上野駅にはじめて著いたときの印象を逆におもい出したものであった。そのころの燈火は電燈よ
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