てそれに針で沢山の穴をあけて置く。また時々血を吸わせるには、太股《ふともも》のところに瓶の口を当てて置くと蚤が来て血を吸う。そういうときに交尾状態をも観察し得るので、あの小さい雄の奴がまるで電光の如くに雌に飛びつく。もはや清潔法は完備し、駆虫剤の普及のために蚤族も追々減少して見れば、そういう実験をしようとしても今は困難であるから、私の子どもなどはもうこういうことは知らないでいる。
 そうだ、火事のところでいい忘れたが、火事が近くて火の粉の降りかかって来たのが鳥越町に一つあった。また凄《すご》かったのは神田和泉町の第二医院の火事で、あまりの驚愕《きょうがく》に看護婦に気のふれたのがあって、げらげら笑うのを朋輩《ほうばい》が三、四人して連れて来るのを見たことがある。私がそんなに近く見たのはこの一例だけだけれども、そのころの東京の火事にはそんな例がざらにあったものとおもう。
 東京は大震災であのような試煉を経たが、私も後年に火難の試煉を経た。少年のとき屋根瓦にかじりついて、紅く燃えあがる吉原の火事を傍看したのとは違って、これはまたひどいともひどくないとも全く言語に絶した世界であった。私は香港
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