手を廻して友人の骨折によってぽん太の墓のあるところをつきとめた。墓は現在多磨墓地にある。
昭和十一年の秋の彼岸《ひがん》に私は多磨墓地に行った。雨のしきりに降る日で事務所で調べるのに手間どったがついにたずね当てることが出来た。墓は多磨墓地第二区八側五〇番甲種で、墓石の裏には大正十四年八月一日二代清三郎建之と刻してある。この二代鹿島清三郎氏は目下小田原下河原四四番地に住まれているはずである。此処《ここ》に合葬せられている仏は、鹿島清兵衛。慶応二年生。死亡大正十二年十月十日。病名慢性腸|加答児《カタル》。ゑ津。明治十三年十一月二十日生。死亡大正十四年四月二十二日。病名肝臓|腫瘍《しゅよう》。大一郎。明治三十四年八月八日生。死亡大正十四年二月九日。病名慢性気管支加答児。静江。明治四十年二月九日生。死亡昭和三年一月二十九日。病名腎臓炎。京子。明治四十年生。死亡大正十三年九月二十七日。病名|脊髄《せきずい》カリエス。云々である。
鹿島ゑ津さんは即《すなわ》ち初代ぽん太で、明治十三年生だから昭和十一年には五十七歳になるはずで、大正十四年四十六歳で歿《ぼっ》したのである。ぽん太については、森鴎外
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