ギ」調は流行したけれども、もとを云へば『擬古』と稱してみんなが默殺してゐたのは君も知つてゐる。そんなことにはかまはんで、忍苦して來たのは君も僕もそれから同志の面々である。ところが近ごろまた『萬葉迷執』などの形容詞を僕らの態度に冠らせて呉れる人も出て來てゐる。僕らは實のところまだまだ萬葉に執していいのである。君のこんどの歌は古語は使つてあつても、萬葉調でないのが大分あると僕は思ふ。古語は使はんでも萬葉調であるがいい、それと反對である。
君はいつか『口語的發想』のことを云つたが、あれが一部分濁つて今度の歌に出て居る。リズムと謂つても『阿房陀羅リズム』に近きこと、新しき俳句と似てゐるやうであつて、短歌の形式に合はない。短歌では矢張り『遒勁流動リズム』であるのが本來で、それが『萬葉調』なのである。僕が『形式』のことをいふと、外的、因習と他の人がいふと思ふが、短歌の體に處るのが本來で、短歌として優れて居ればそれが本望であらねばならぬ。これは諦念説どころではなくて、實は精進の到達點であると思つてゐる。短歌が阿房陀羅ぶしに化して何になる。
結句に四三調のものがなかなかある。それがどうも輕薄にひび
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