の字点、1−2−22]散歩もして、底の見えるまで澄んだ最上川を見おろすことがあつても、つひぞ鯉の姿を見たことがなかつたからである。
然るに友人は、安蔵のこの話に継いで、去年の六月ごろ、三尺に余る真鯉を売りに来たが、余り大きいので却つて気味悪がつて買はなかつたが、胴のところは八寸ぐらゐはあつたらう。そのとき、『酒一升に、金五円呉れ』と売りに来たものが云つたといふことをも話した。この友人は酒を醸す人で、法螺など吹く人ではなかつた。
又今年になつてから別な友人が、やはりヘグリあたりで捕へたといふ真鯉で、二尺七八寸あるのを売りに来てそれを買つた話をした。一日ばかり泉水に入れて置いたが、弱つたので三軒の親類に分けて食べた。二尺七寸の鯉といへば実物は非常に大きく感じるさうである。又余り大きい鯉は味がわるいなどといふ人もあるが、肉が緊まつてなかなかの美味であつたさうである。さうして見れば、最上川、特にヘグリあたりの最上川に大鯉の居ることは確かであり、最上川の流を泳ぐ鯉は大きくとも味が可良であるといふことも確かになつたわけである。
ところが、今年の九月、関東地方の大水害のあつたとき、やはり最上川も大増水したが、一尾の大きな赤い鯉が、対岸横山村の小さい支流にのぼつて来たのを村民の一人が捕へて、私の厄介になつてゐる二藤部さんのところに売りに来た。この緋鯉はやはり二尺八寸ばかりあり、実に立派であつた。
この大きな赤い鯉は、ヘグリあたりの静かなところに居たのであつただらうが、濁水が余りひどいので、それを避けて、小さい支流へのぼつたものと見える。さう想像するとこの赤い鯉の運命の如きものもただ看過してしまふわけには行かないであらう。
[#ここから3字下げ]
最上川に住む鯉のこと常におもふ※[#「口+嶮のつくり」、第4水準2−4−39]※[#「口+偶のつくり」、第3水準1−15−9]《あぎと》ふさまもはやしづけきか
[#ここで字下げ終わり]
これは昭和二十一年大石田の初冬に作つた一首である。最上川に大鯉の住むといふことは、一たびは疑つて見たが、もはや疑ふことが出来なくなつた。されば、寧ろ想像で出来たこの歌をば事実として立証することが出来るまでになつた。彼等魚族も、秋に沢山物を食つて、いよいよ冬の休息に入るやうになる。休息時には彼等のする※[#「口+嶮のつくり」、第4水準2−4−39
前へ
次へ
全3ページ中2ページ目
小説の先頭へ
文字数選び直し
斎藤 茂吉 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ
登録
ご利用方法
ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング