ぱりとぼけているんだ、狸爺《たぬきおやじ》だと、宙は眼の前に醜悪な伯父の姿が立っているような気がした。彼の心は憎悪に燃えた。
「宙さん」
宙は驚いて眼を瞠《みは》った。従妹《いとこ》の倩娘が竹にそうて立っていた。
「倩さんか」
宙は倩娘の傍へ寄って往った。宙は倩娘の眼に涙を見つけた。
「倩さん、いよいよあんたとも別れる時が来た、私は明日都へ往くことになった」
倩娘は両手で顔を隠してしまった。倩娘は泣きだした。
「長い間、あんたにも厄介になったが、これも一つの運命だ」
宙の片手は女の肩にかかった。女は全身を投げかけるように体を寄せて来た。と、宙が今歩いて来た方から跫音《あしおと》が聞えて来た。
「何人《たれ》か来たようだ、では別れよう、体を大事になさい」
宙は女と離れてその前にある小門《こもん》の口の方へ歩いて往った。宙はその時女の足が一足二足|自個《じぶん》を追って来たように感じた。
朝になって宙は伯父の張鎰《ちょういつ》をはじめ、その幕僚などに見送られて、船に乗って出発した。
宙は船の中にいても、倩娘のことばかり考えていた。そして、その考《かんがえ》は昨夜《ゆうべ》の新しい倩娘の涙と結びついた。微月《うすづき》に照されて竹の幹にそうて立っていた、可憐《かれん》な女の容《さま》を浮べると、伯父に対する恨《うらみ》も、心の苦痛も、皆消えてしまって、はては涙になってしまった。
夜|晩《おそ》くなって船は土手に沿うて進んでいた。宙は倩娘のことが頭に一ぱいになっていて眠られないので、起きて船べりにもたれていた。微赤《うすあか》い月が川にも土手の草の上にもあった。
ばたばたと走って来る人影が土手の上に見えた。この夜更けにどうした人であろうと思って、見るともなしにそれに眼をやった。
人影は近くなって来た。それは若い女らしかった。悪者《わるもの》に追かけられた者であろうか、それとも、親や良人《おっと》に大事なことでもあって、走っているものであろうか、聞いたうえで都合によっては、この船で送ってやってもいい、どうせ急がない旅である……。
宙はこう思って、船と女との並行するのを待っていた。
「宙さん、宙さんではありませんか」
宙は驚いて眼を瞠《みは》った。声なり、姿なり、それは確《たしか》に倩娘であった。
「倩さん、倩さんか」
「え、え、私よ、宙さん」
倩は
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