ばかりの米を出し合って、袋に入れて置く。その袋を昔でいえば屋形の若君がさびしい身なりをして、破れ草履《ぞうり》をはいて、受け取りにくる。鶴見は国もとへ行っていたとき、その様子を傍からそっと見ていて、せっぱ詰《つま》った気の毒な事情を知っていた。そんな状態になるまでに落ちぶれたのである。
鶴見のかかり合ったという女はそんな乱脈な家庭で育てられて来たのである。こんな話も聞いた。まだ娘のころ、若い男と轡《くつわ》をならべて、田舎の畦道《あぜみち》を馬で乗りまわして、百姓をおどろかした。嘘か本当か、そんな噂話も伝っている。一度久留米近傍のさる名家に嫁したが、その縁も長くはつづかずに出戻ってきた。その後は縁故のある諸家に転々と預けられた。どこでもその取扱に手を焼いたからである。鶴見の家がその最後の選に当ったのは鶴見の家が旧臣のことであり、鶴見の父親の厳格な性行が認められ、その上に家は閑散であり、そこに入れておけば、自然に茶道などの風雅な教養の下《もと》に好感化を及ぼすだろう、そんな望を抱いていた人たちから父は見込まれたのである。そしてその問題の女性を鶴見の家で余儀なく引受けた。それがはからずも鶴見に苦い閲歴を負わした端緒となったのである。
鶴見の相手になった女性の手ごわさは始から知れていたのであるが、それでいてどうしてもその悪関係を断ち切り難かったのは性慾のなす業であった。性慾は実は二人の間を繋《つな》いでいたのではなかった。もし繋いでいたならば、そのきずなをあるいは断ち切ることもできたのであろう。しかるに二人は性慾を別々の意味で享楽していたのである。その間に共通のきずなはなかった。鶴見の方には盲目の衝動あるのみで、相手には性慾に加工した手練《てれん》手管《てくだ》があった。鶴見は好い加減にそれに乗せられていたのである。
肉は殺《そ》がれ骨は削られる。もうこれからどうして好いかわからない。破滅が目の前に見える。そこまで遂に押詰められたと観念していた矢先きに、たまたま一つの事件が起って来た。全体から見れば些細《ささい》な事であるが、その事が鶴見を鋭く刺戟した。鶴見は目を醒した。その事が起ったばかりに彼は性慾の迷路を出ることが出来るようになったのである。かれは救われたのである。
鶴見の生涯に一の転機をもたらした事件というのはこうである。
或日のこと、鶴見は書見《しょけん》をしていた。机の上には開かれた一冊の書物が載っている。鶴見はその本の中で、南欧の美しい風景を心ゆくばかり眺めている。海のあなたにはあの有名な活火山が隠さねばならぬことが世にあろうかとばかり、惜しげもなく全姿をあらわした。その巓《いただき》から吐き出す煙が風に靡《なび》いて静かに低く流されてゆくのがよく見える。悠々《ゆうゆう》たる思いがする。ここの海港の盛り場は殊の外|賑《にぎ》わしい。ナポリである。鶴見はその本の訳者とともにナポリの町をさまよい歩いて、情熱のにおいを嗅《か》いでみる。
その時であった。鶴見が離れようとすればするほど纏《まとわ》りついてくる女の執拗さにあきれて、女の媚《こび》には応諾《おうだく》も与えずに、押黙って本を見ていた。女は激しい痙攣《けいれん》でも起したかのように、顫《ふる》える手にいきなり鶴見の見ていた本を取り上げて、引き破って、座敷の隅《すみ》に放りやった。
鶴見は女の行為に全く呆気《あっけ》にとられてしまって、咄嗟《とっさ》に言句も出ない。それから後どうしたかも知らない。それでいてその折読みさしていた書中の条下はよく覚えている。その一章には「人火天火」という小みだしがある。それがはっきりと思い出される。
この書の訳者は老母に読ませたい一心から活字をわざわざ四号にして、文章の段落に空白を置かず、追い込みに組んで印刷させた。活字を大きくしたために増加する頁数を節減しようとしたのである。そういうことがその本のどこかに断ってあった。
鶴見は訳者の孝道に感じ入った。それに対してかれの為すところは浅ましいかぎりである。かれはいよいよ慚愧《ざんき》した。
そういうことが一転機となって、鶴見は気を楽にした。それでもなお惰性になった性慾をかれはきっぱり打切りもせずにつづけていった。
女がこんなことをいった。「あなたのお父さんね、あんなむずかしい顔をしておいでだが、一度こんなことがあったの。」
鶴見は女の言葉に毒のあるのを悟った。見さかいというものを知らぬ女だから、別に毒を注《さ》すとも思わずに、無意識にそういったかも知れない。しかしかれはもはや女のために弁解してやる必要を少しも感じない。そして取り合いもしなかった。
父親は茶室に籠って茶道に精進している。そして宗匠から伝えられてくる手前を繰返し繰返し復習してから、控帳へ書き留めをする。それが殆ど毎日の仕事である。女が相手をする。名家の育ちだけあってものごしは上品で、言葉つきもやさしい。色は衰えたといってもまだ残《のこ》んの春を蓄《たくわ》えている。面《おも》だちは長年の放埒《ほうらつ》で荒《すさ》んだやつれも見えるが、目もと口もとには散りかけた花の感傷的な気分の反映がある。そういう女を茶室のうちに据えて見れば、艶《つや》めかしく風流でないこともない。
その女と共に鶴見の継母も相手になる。順番に炉《ろ》の前で、複雑な手前をする。
継母もさる支藩邸の奥向きを勤めて、手もよく書けば歌道も一通り心得ている。継母はこの女を嫌っていた。その心理はよくわかる。父親は父親で、この母が手もうまく和歌も相応によむのを何か出来過ぎでもあるようにして嫌っていた。それも思えば口実であったろう。そして時々訪ねてくる歌の師匠の老人をも嫌っていた。
その老人があの今井克復翁である。大阪で、大塩平八郎の騒動のあったとき、惣年寄《そうどしより》として火消人足を引きつれて大塩父子の隠家《かくれが》を取り巻き、そしてこの父子の最期《さいご》を見届けたという、その人である。大家《たいか》の生れでさすがに品位も備わり、濶達で古いことをよく記憶していた。中島|広足《ひろたり》とは姻戚であった。翁の夫人がたしか広足の娘であったように聞いていた。隣町に住んでいたので、短冊を背中に入れて気軽く訪《たず》ねてくる。弟子の家を廻り歩くのが何よりの楽しみであったらしい。若いおりは能楽に凝って、そのために大きな身代をなくしてしまったということである。翁の歌は『新古今』の伝統を守って、『万葉』を遠ざけ、桂園《けいえん》を疎外していた。翁は万葉張りを揶揄《やゆ》していた。鶴見が『万葉』を好んでいたのを感づいて知っていたからである。
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うばたまの闇雲《やみくも》いそぐかごの中に
富士を見ながらむすこ行く見ゆ
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これなどどうですと高笑いをして、翁は右の歌を書き示した。加茂季鷹《かものすえたか》の作だというのである。
父親がこの老翁を嫌うのは老翁その人を嫌うのではない。それが鶴見に分らぬでもなかった。
或時父はこういった。鶴見が父の晩酌の世話をしているおりであった。継母は留守であった。父は小姓でも抱えたような気になって、鶴見に世話をさせて喜んでいる。「あのなあ、うちのみきね、あれも困りものだ。それに」といいさして、老顔に深い皺《しわ》を寄せる。いつにない父のうち解けようである。みきというのは継母の名である。鶴見は父のこの言葉を聞いて、その先きを恐れた。その先を聞くというのは如何《いか》にも辛《つら》かった。鶴見にはおおよそのことは分っている。それで別事にまぎらして、その話はそれなりに伏せてしまった。父親にはどこか女嫌いというところも見えていた。そんなこともあったのである。
父親は七十の古希に、国許《くにもと》で同士集まって、歌仙であったか、百韻であったか、俳諧を一巻き巻いた。それを書物にして配りたいという。書物は『八重桜』といった。鶴見が受合って、印刷させて、和綴《わとじ》の小冊子が出るようになった。端書《はしが》きも添えておきたいという。鶴見が代筆をして、一枚ばかり俳文めいた文章を書いた。父は鶴見の文章を読んで、はじめて子供の文才を知って、少しは心を安めたようであった。鶴見はそれがうれしかった。
性慾の磁気嵐、人生の球体面に拡大する黒点、混迷と惑乱のみなもと、それもいつしか過ぎ去った。
鶴見はこういうことを夢みている。今一度童子となって、生みの母から、魔力にかかった昔々を聞いて、すやすやと長い眠りにつきたい。
厄落《やくおと》しということがある。夢もさっぱり落してしまったらばと、おりおり思う。それでもかれは夢から離れることもできず、夢もまたかれを離さない。
鶴見は例のとおり、ひとりで何かつぶやいている。
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夢は呼び交す
秋もすえのころである。鶴見は夏の季に入ってからどこへも出ずに籠っていたので、久しぶりで、長谷《はせ》の方へ出掛けてみた。古本屋をあさって、雑書を五、六冊手に入れて、それを風呂敷に包んで持っていた。さて引き返えそうとすると、ひどく疲れがでて、歩行もはかどらない。戦災以来弾力を失った脚はまだ十分に恢復していないのである。それにかかえている風呂敷も重かった。
そんなありさまで八幡社の境内《けいだい》までたどりついた。池の中央にはちょっとした出島《でじま》がある。そこにはもと弁天堂があった。その跡が空地《あきち》になっているのである。その空地でゆっくり休んだ。弁当も出して使ってみた。少し元気がついたので、予定していたことでありすぐ近くにある国宝館はやはり見てゆくことにした。
観覧料を払って、いざ本館へと石の階段を昇ろうとすると、足があがらない。やっとのことで館内に入った鶴見の面前に、いきなり等身大の仏像が立ち現われる。やれやれと思うひまもなかったのである。その仏像のひろげた腕があたかもかれを迎えて、かれの来るのを予期してでもいたように見える。鎌倉期の阿弥陀如来の座像である。それにしても例の中性的な弱々しい表情もなく、そんなマンネリズムから遠く離れて、しっかりした顔面や四肢の肉附けが男性的であるところなど、見る人の目を牽《ひ》き、精神を新にさせずにはおかないという風格がある。鶴見はおもわず身づくろいをした。体のどこか急所に石鍼《いしばり》をかけられたような感じに打たれたからである。
こういう阿弥陀像はこの外にも二、三あったが、それとは様式の変った如来の立像が一体ある。それがまた鶴見を感動させた。物々しくはないが特殊な製作ぶりを示している。浄明寺《じょうみょうじ》の出陳である。舟型光背《ふながたこうはい》につつまれた、明快で優に妙《たえ》なる御姿である。技巧は極めて繊細であるが、よく味ってみれば作者の弛《ゆる》みなき神経が仏像を一貫して、活きて顫動《せんどう》している。そして全体は金色にかがやいている。眩《まばゆ》いようである。
おかしなことをいうようであるが、この像をながめた後で目をつぶると、鶴見にはその台座の蓮弁が危うげに動いて、今にも散ってゆくかのように見える。事実この蓮弁はその一つ一つが離れてでもいるらしく彫り込んである。そこに彫刀の冴《さ》えが見せてある。せいいっぱい開敷《かいふ》したかたちであろう。そよとの風にもさそわれて散ってゆかぬでもないように思われるのである。
この浄明寺の阿弥陀像を鑑賞した目で、すぐ先にある弁財天《べんざいてん》を見ることは、鶴見にはいかにもつらかった。先刻休んだ池中の出島に堂構えがあって、その堂内に安置されていた有名な裸体像である。写生的にはよくできていると相槌《あいづち》を打ってみても、これは一箇の人形に過ぎない。
たまにおもてに出て、ここの国宝館を見て来たということが、鶴見に取っては、かれの生活に、その単調を破る一つの刺戟をもたらした。しかし家に帰りついてみると、精神にまた弛《ゆる》みを生じて、しばらく忘れていた疲労が体をくずおれさした。かれはなさけないと思ったが、悩む脚をなげだし
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