中に、人生における情熱と冷酷な現実との瞬間に縮められた永遠のたたかいを、ふいと見てとって深い深い息をつく。
床《とこ》の間《ま》の壁に掛けた青木の画幀はその額縁を一つの窓として、そこからはユニクな海景が残りなく見わたされるようになっている。そう思っているうちに、鶴見には錯覚が起って来て、かれはいつの間にか、その窓からかれが往年の情熱的な争闘の生活を、食い入るばかりにしてながめていたのである。少年時にきざして、間歇的《かんけつてき》にかれを襲った性慾の経歴である。鶴見にもそういう時代がつづいたのであった。
老刀自の傍にいることを鶴見は全く忘れていた。
「青木さんの絵は青木さんなりに特色があり過ぎるように思いますの。それで釣合がとれるかどうかわかりませんが、ちょっと何か活《い》けさせてもらいましょうか。」そういって、老刀自は片頬《かたほお》にさみしく笑う。
鶴見はその声を聞いてびっくりした。急に覚醒した人がおぼえるように、胸には動悸が打って鳩尾《みぞおち》のところが冷《ひ》やりとする。これだけの心理の衝動を、身近にいる老刀自は感づいていないように見える。かれは妙だなと思う。しかしまたそんなことを考える自分もまた妙だなと思う。
鶴見は黙っている。老刀自は裏山からかねて見つけておいた、すがれた秋草を取揃えて持って来て、李朝白磁の手頃なふっくりした花瓶に無造作《むぞうさ》に挿す。すすきの萎《な》えた穂と唐糸草《からいとそう》の実つきと、残りの赤い色を細かにつけた水引草《みずひきぐさ》と、それに刺《とげ》なしひいらぎの白い花を極めてあっさりと低くあしらったものである。至極の出来である。
「何という対照であろう。おれは気に入ったよ。おれはたった今青木の絵を仲立ちにして、若いおりの情熱の世界をまざまざとながめていたのだよ。そんな時代もね、もうとっくの昔の夢となった。おれも老いこんだよ。明日はどうなるだろう。どうなっても、それを自然であらせたいね。こうやって活けた花をのどかに見ておれば老境もわるくはない。そうじゃあるまいか。」
鶴見は冗談だという風に見せかけて、そういって老刀自を顧みた。
二人は床の間を前にして、じっとして寂しく笑う。
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磁気嵐
透谷の『蓬莱曲《ほうらいきょく》』が出た。鶴見の回想は今この本のイメエジをめぐって渦動をはじめるかに見える緩《ゆる》やかな曲線をえがいている。この『蓬莱曲』が出たという事実は、古い伝説が語るところの、江水《こうすい》の流れからあらわれた大きな亀が、その背に負うていたという、あの河図《かと》に比すべきものであったかも知れない。しかるにそれはどうであろう。質素極まる仮表装で、一点の飾もない白と黒とが、まるで何かの喪《も》に籠っているように思われる。『蓬莱曲』というのは正《まさ》にそんな本であった。しかもこっそりと世の中に出たのである。
鶴見は中学に通うようになってから、毎日数寄屋橋をわたって、銀座|尾張町《おわりちょう》の四辻を突切って行く。そしてこんなことを思っている。「おれの足はきょうも透谷の住んでいる家の前の舗道《ほどう》を踏んできたのだ。」こう思って、それをひそかに誇りとしていた。そんな日もあったのである。
透谷の家というのは、銀座通りよりもむしろ数奇屋河岸《すきやがし》の方に近よっていたかと思う。河岸から来れば左側の小さな角店《かどみせ》で、煙草をひさいでいた。そういう店の奥に将来を期待される詩人が世に容れられずにしじまっているということを、少年の心にはまだ不思議とも思わずにいられた。彼はただ詩人という呼声に酔わされていたのである。
北村透谷の『蓬莱曲』がその頃出た新刊書の一つである仮表装の素朴な本であることはすでに述べた。恐らく二、三十銭そこそこで売っていたのだろう。それにもかかわらず鶴見はその本をどうして手に入れたものかとその算段に数日心を悩ました。余裕のない家庭では二、三十銭といっても大金である。欲しいもの読みたいものもあるが、その位の小遣銭も貰えない状態では何事も思いとまるより外はない。すべてがそんな風で、少年の知識欲は常に抑えられていた。妙に偏屈な性癖がかれにこびりついている。その原因がどこにあったか、それは最早《もはや》問わずとも知れたことである。そう思って見て、伸び伸びと生い立ち得なかった性情を、かれは一生の終りになって、自ら顧みて自ら憐んでいるのである。
『蓬莱曲』は幸いに同級生の一人が買って持っているのを知った。鶴見はそうと知った上は、少しも遅疑せずに、その友人の家へ出掛けて行った。本は貸してくれるという。同級というだけで、ふだん余りに言葉も交わさないでいた間柄であったが、読みたさの一念から学校帰りに臆面もなく、その家を尋ねて行ったのである。
その友人は須藤といった。姓だけおぼえているに過ぎない。家は学校から間近の采女町《うねめちょう》にあった。医家で、その当時は随分と門戸を張って繁昌していた。薬局に使っている部屋も広く、若い人たちが大勢立ち働いて、調剤に忙がしい。その合間に「坊ちゃん、どうですね。あれからどうしました。面白いことがあったでしょう」などといって、友人の須藤の顔をのぞいて、ちょっとからかう、その賑《にぎ》やかさ。鶴見がひょっくり尋ねて行った時に、友人はたまたまこの薬局に出て来て、若い人々にたちまじって話しあっていたのである。
鶴見は須藤の姿を見て、いきなりこういった。「きょうは学校を休んだね。病気か。」
「うん。ちょっとばかり体の工合《ぐあい》がわるかったのだ。たいしたことはないよ。」
「そうか。そんなら好いが。」無愛想な受け答をしていた鶴見は、それから案内されるままに奥へ通った。
奥の八畳に病床が温かそうにしつらえてある。綿を厚く入れた蒲団《ふとん》にくるまって休養していられる身分である。どこといって格別悪いらしくもないが、どうしたものかたびたび寝るくせがついている。学校の方も欠席がちになる。須藤も好箇の若者であるが惜しいことには体が弱い。鶴見はそう思ってあたりを見まわした。
室内は適度に保温されて、床脇《とこわき》の違い棚の上に華奢《きゃしゃ》な鶯の籠が載せてある。鶴見にはそれがこの室《へや》の表象ででもあるように目立って見えた。鶯は籠の中を時計の振子のようにあちこちと動いている。
「鶯は鳴きますか。」鶯は動いてはいたが鳴きはしなかった。それにひかされて、ついこんな間の抜けた口をきいたが、それが愚問であるのに、すぐ気が附きはしたものの弁解がましいことはしたくなかった。友人は寂しく笑った。
須藤は背は高かったがひどく痩せぎすなたちで、前歯が虫に食われて味噌歯《みそっぱ》になっている。
その味噌歯がこの男の面貌に愛敬を添えていた。それでも寂しく笑った時に、鶴見はそこに若者らしくない窶《やつ》れを見て取った。
鶯によい鳴きぐせをつけるにはその方法がいろいろある。その躾《しつけ》かたについての話を一わたりきかされた。「何につけても修行が大切だね。」鶴見はそういおうとして、遂にその言葉を口に出さずにしまった。
鶯の修行の話を長閑《のどか》にして、こうやって静かに寝ていられるところを見ると、友人はもはやこの家の立派な若主人である。そしてそれに相応した待遇を受けている。鶴見がこういうような生活ぶりを見たのは始めてである。しかしこの時は、学生の身分としての生活ぶりに懸隔の差が余りに多かったせいか、ただもの珍らしいと思ったばかりで、別段の感情は起さなかった。
須藤はそういう家庭に育っただけに、どことなく貴族的で、わざとらしくない品位が具《そなわ》っていた。ただその様子を見ていると、次第に迫ってくる暗い影が、かれの身に落ちかかっているようにも思われる。それが果して倦怠であろうか、絶望的な苦悩であろうか、そんなことが鶴見に分ろうはずもない。鶴見はこの友人が体がもっと強かったらばと思ったのみであった。
鶴見はそんな友人から透谷の『蓬莱曲』を借りて来たのである。かれのためには、ここに新しい友人を一人得たというよりも、新しい書によって、透谷その人に深く親しむことができたという方が適切である。
『蓬莱曲』はもちろんすぐに読みおわった。そして感激した。
『蓬莱曲』を読むと、『マンフレッド』が自然に思い浮べられる。バイロンも気随気儘な生活を送っていた。そしてあの図抜けた旺盛な気力を養っていた。鶴見はまたここに至って、この書を貸してくれた友人のおもかげを、かれのえがいている妄想のなかでちらと見た。須藤に体力がもっとあればと惜しんだのも、そのためであったかとも疑った。須藤をバイロン卿にあやからしめようとするのではない。そんなことを思いつくというだけでも痴《たわ》けたことである。鶴見はそれを知らぬではない。知ってなおかつ他愛もない狂想を追うているのである。かれはこの※[#「兀のにょうの形+王」、第3水準1−47−62]弱《おうじゃく》な無名の若者の中に、その身を覆うていると想像される暗い影の中に、あの反抗心と絶望的な苦悩を持っているバイロン卿をえがこうとするのである。無理無体なことではあるが、かれはこの若者を傭《やと》って、仮托してまでも、バイロン卿のえらさを現前したかった。要するにこの若者を憑座《よりまし》に据えてこの大詩人の乗り移る魂の声を聞こうとしたのである。鶴見にはどうかするとこういうような考え方をして、情感の一時の満足を得ようとする妙な気まぐれがある。
鶴見はしばらくうつけた考に耽《ふけ》っていたが、何のかかわりもないのに、仮托の役に使われたこの若者こそ迷惑なことである。透谷の『蓬莱曲』がとんだ罪を作った、そう気がついて見ると、鶴見は心のうちでこの友人に対して、すまぬことを考えていたと詫びるより外はなかった。
透谷には『蓬莱曲』以外に、少し後になって出したものに『宿魂鏡』がある。観念小説だという評判がわけもなく鶴見少年の心を打った。かなりむずかしい短篇である。これもやはり『国民之友』の附録に載せられたものである。心理の藪《やぶ》がその下に通ずる路を暗くしていた。少年の好奇心がその迷路をおぼつかなくもたどらせた。そんな記憶が残っている。透谷のもので、今一度読み返してみたい作品の一つである。
鴎外はトルストイと同様に英国人を嫌った。その点から推しても、本国に愛想をつかしたバイロンにある程度の関心を持っていたにちがいない。すでに『マンフレッド』首齣《しゅせき》の数十句の訳がある。そうかといって、バイロニズムには頓著《とんちゃく》するところがなかった。バイロンその人というところのバイロニズムとは別物である。無分別な鶴見にそんなわけが弁《わきま》えられるはずはなかった。
『浴泉記』が出た。鴎外の実の妹に当る小金井喜美子の訳筆である。一ころ露西亜《ロシヤ》をバイロニズムが風靡《ふうび》した。そういう時代の世相をえがいたものである。うぶな少年にはその反社会的な行動が深刻に見なされて、矯激な思想の発揚に一種の魅惑を感じた。こんな深刻味のあるものを一女性の繊手《せんしゅ》に委《まか》せて夫子《ふうし》自らは別の境地に収まっている。鴎外はなぜそんな態度を取っているのだろう。バイロニズムに浮かされかかっていた少年にはそれ相応な幼稚な不満があって、それが一廉《ひとかど》の見識でもあるかのように思いなされるのである。
鶴見少年にも思想らしいものが、内から甲《こう》を拆《ひら》いて芽《め》ぐんでいる。そこに見られるのは不満の穎割葉《かいわれば》である。かれはいつのまにか生意気になってきた。
そのうちに中学の業を終える。明治二十五年である。少年期から青年期に入る。事の順序は表面平穏に推移するが、少年から青年に経過するその間の変遷は実際には驚くべきものがある。ただ一線を劃するのでなくして、平地に山のような波瀾を起すのである。別天地に入るのである。
性慾がはじめて問題になる。性慾は止むに止まれぬ本能の発露である。思想など
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