いる。単に耳が遠いというだけではない。殆ど全く聞えないのである。
鶴見が聾になる直《す》ぐ前のことであった。かれは老妻の曾乃《その》に向って、「お前はどうかしたのかね。声がすっかり変ってぼやけてしまっている。もっとはっきり物をいってもよさそうなものだ」といって、かえって訝《いぶ》かったものであるが、或る日の朝いつものとおり起きて、茶の間の席に就いていると、家人のする朝の挨拶がさっぱり聞えて来ない。鶴見はこのときはじめて自分の聴覚不能に気が附いたのである。
かれは久しく悩まされている体の変調子などから、いずれはどこかに現証を見せられるものと推量していた。それが聴覚にあらわれて来たのである。ふだんからそう考えていたので、その朝争われぬ証拠を見せつけられても、惶《あわ》てもせず驚きもしなかった。びっくりしたのはむしろ曾乃刀自の方である。いろいろ他にも相談したすえに、結局市の聾唖《ろうあ》学校へ行って、聴音器などのことをよく聞きただして来ることに極《き》まった。鶴見は例によって学校なんぞへ行くのをおっくうがって、あまり気がすすまない。しかしそうばかりもいっていられぬので、曾乃刀自に跟《つ》いて学校へ出向いてみた。
学校では若い教諭が出て来て親切にしてくれる。一応こちらの事情を聞いた上で、ガラス戸棚からさまざまな器具を取りおろして、それを卓上に列《なら》べて、それらの器具の使用法について詳しい説明をする。その中には乾電池を使った、機巧の複雑なものもある。しかし実際に試《た》めしてみたところでは、そんな贅沢《ぜいたく》な器具よりも、簡単で自然なものの方が要領を得ていた。鶴見は学校へ行ってそれだけの智識を貰《もら》って来たのである。それから東京へ出掛けて、学校で見たものと同じ物を買入れて来た。喇叭状《らっぱじょう》の聴音器である。鶴見はその喇叭をかれこれ十年も使っているので、表にかけた黒漆《くろうるし》も剥《は》げてところ斑《まだら》に地金《じがね》の真鍮が顔を出している。その器具を耳にあてがってみても、実は不充分である。言葉のうちには幾度も聞き返さねば分らぬ音韻がある。大抵の日常会話は、慣れてくれば、よくは聞えなくても想像がつく。話題が突然一転する。そうなると想像の糸がふっつりと断たれて殆ど判別が出来なくなる。客と対座するときには曾乃刀自が脇についていて、喇叭を通して、仲介に立って、客の言葉を受けて、それを伝えてくれる。聞き慣れたものの音声が、何といっても聞きよいのである。そうでない場合は、客に一方的な筆談を煩《わずら》わすことになる。それでは客に対して気の毒でならない。そういうようなわけで、たずねて来てくれる客も絶えがちになり、こちらからはもとより往訪も出来ない。かれの孤独は一層甚しくなる。それにもかかわらず、鶴見はよく堪えて、静かに引籠《ひきこも》って、僅かにその残年を送っているのである。
その鶴見がきょうは珍らしく機嫌が好い。梅の花が咲き初めたということがまだかれの思考を繋ぎとめているらしい。
『正法眼蔵《しょうぼうげんぞう》』に「梅花の巻」といわれているものがある。かれはそうと気がついて、急に見たくなって、傍《そば》に書架《しょか》があれば、手を出してその本を探したいような心持がした。そうは思ってみても、今の境遇ではそのようには行かない。かれの蔵書はすべて焼けて灰になっているのである。梅花の巻に代えて劫火《ごうか》の巻が眼前に展開する。またしても寂しい思いがさせられる。せっかく明るくなっていた気分が損《そこな》われるのを惜しんでもしかたがない。かれは気を励まして、本なんぞに追随するのを止《や》めて、まだ手馴れていない批判的態度に出てみるのも面白かろうと考えている。もし間違っていれば引込ますだけのことである。かれもここで少し横著な構えになる。
『正法眼蔵』が何であろうと、今日のかれには余り関《かか》わりはないはずである。あれを書いた道元は禅には珍らしく緻密な頭脳を持っていたということを、誰しもが説いている。それには違いなかろう。峻厳である一方|悟道《ごどう》の用心が慎重である。徒《いたずら》に喝棒《かつぼう》なんぞと、芝居めいた振舞《ふるまい》にも出でない。そこにも好感が持たれる。殊にこの『正法眼蔵』は和文で物してある。われわれに取っては漢文を誤読するような過《あやまち》をせずに済む。それが先ずありがたい。ずっと前に読んで、まだ頭に残っている印象をたどって見れば、何か近頃の評論家の文章を読むような気がするものがあるように思われて来る。それもなつかしい。
鶴見に取ってはそこに出てくる、今の言葉でいえば、分析とか弁証とか超克とかいうものは、ただそれだけのものとして、そう深くは心を牽《ひ》かされていない。「梅花の巻」に限らず、どの公案《こうあん》にも同様な解結の手段がめぐらされている。
鶴見は『正法眼蔵』全体を一つの譬喩《ひゆ》と見ている。梅花はこの譬喩の中でも代表的なものである。そして春になって梅の花が咲くの、梅の花が咲いて春になるのと、わざわざ矛盾を提示しての分析は、暇のある時ゆっくり考えてみても好かろうと思っているのである。
鶴見にはかれ相応な見方がある。そこにいうところの梅花は前にいったとおり一つの譬喩に過ぎない。公案で思想を鍛《きた》えて、さて現成《げんじょう》させる絶対境は要するに抽象世界である。先天的な自然の生命はいみじくも悟得されようが、鶴見が懐抱しているような、無碍自在《むげじざい》なる事象界の具体性が実証されているものとはどうしても思われない。譬喩があって象徴がないからである。そこに宗教哲理の窮極はあっても、芸術とは根本の差が見られるということになる。
また考えて見る。伝えるものと承《う》けるものと二人相対している。そして微笑する。仏々相照というようなことにもなるか知れないが、それでも困る。誰にでも見える帰納的な表現が欲しいものである。芸術がただその事を能《よ》くする。
鶴見は聾になってから、いつかしらに独語をする癖がついている。いつもは口のなかで噛みつぶしているのであるが、今思わず「芸術」という語に力を入れた。それでその言葉がかれの口を衝《つ》いて洩れてくる。老刀自はまたかと思って、取り合わずに、老眼鏡をかけて針のめどに糸を通そうとして熱中している。
鶴見はなお思いつづけながら、俄《にわ》かに気を交《かわ》して、娘の方に振向いて、「さあ。どうだろう。少し休んで、あの梅の枝を手折《たお》って来てね、ちょっと工夫して、一輪《いちりん》ざしに活《い》けて見せてくれないか。」鶴見はそういい放して置いて、自分は自分で、やはりさっきからの考を追っている。娘というのは静代といって養女である。夫婦とも老年になるばかりで、子がないのを苦にして、あとの事など思い詰めたあげくに、この四、五年来家事の加勢に呼寄せていた曾乃刀自の姪を籍に入れたのである。老刀自が華道に専心して忙がしがっていたのを助けて来ただけあって、花も相応に活かるようになっている。静代は鶴見に花を活けて見せろといわれたのを面倒がりもせずに、仕事の手を休めて、ついと庭へ下りて行った。
鶴見はほほえみながら、老刀自の顔を見て、「あのね。家隆《いえたか》卿の歌にこんなのがあるのだよ。いいかね。――花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや。これなら分るだろう。雪間の草の春と一纏《ひとまと》めにいって、それを都の人々に見せてやりたい。実に好いじゃないか。どうだね」といって、ひとりで感心している。
「わたくしなぞには歌のことなんか分りっこはございませんが、そう仰《お》っしゃられれば、好い歌は好いと思われますね。」老刀自はしかたがなさそうに合槌《あいづち》を打つのである。
「それで好いのだ。その上に無理に詮索するにも及ばないが、おれには少し思いついたことがあるよ。」
鶴見はそういって置いて、この「見せばや」を問題に取り上げて、歌の成り立ちに関する考をやさしく分らせるにはどういう風に述べて行ったものかと、しきりに思案している。その見せてやりたいという相手は誰だろうか。歌の表の都の人々よりも、先ずもって作者自身ではなかったろうかと思って見る。そこが眼目だと気がつく。気がついて見れば、それでも解決がついたようなものである。「雪間の草の春」は陣痛の苦《くるしみ》を味って自分が生んだ胎児にちがいない。血を引いた個性がそこにあらわれている。もともと雪間の草を発見したのは自分自身である。自分の見方が好かった。正しかったからだとはいえる。しかし分身の胎児は、これを自分ひとりで生んだものと断言することが果たして出来ようか。自分の発見が種子《たね》となって、胎中にあって、ひそかに生態の形が整えられ、そしてかずけられた自然のいのちをちからとして生まれて来たものである。そこで自分ならぬ自分の声が聞えて来る。何といって好いものか、多分それを暗示とでもいうのだろう。その声が「見せばや」である。その声を聞くとともに自分から私というものが取り除かれる。そうなると今までは私のものであった「雪間の春」が直ちに転身して、ひろびろとした自由の世界の空気を呼吸する。その一部分を譬《たと》えていえば、ひとりよがりの自慢の手料理が、それどころでなく、立派な饗宴の膳部《ぜんぶ》の向附《むこうづけ》にもふさわしい滋味を備えたものになるのである。
鶴見はそれだけの説明を分りやすいように砕《くだ》いていおうとして見たが、思うようにはうまく行かなかった。ただいつになく熱意の籠っているのが窺われたので、老刀自は黙って聞いていた。鶴見は語りやめたが、その談義が果して終ったものかどうか、それさえよくは分らなかった。そこで老刀自は分ったような、分らぬような顔をしている。
鶴見にしてみても、ここまで来て何か拍子抜けがしたようで収まりがつかない。そう思って結末の文句を探している様子であったが、ふと探しあてたと見えて、かれは改めてこういった。
「まあ、こんなことになるのだろう。今日のこの事に当はめていうと、雪間の草の春は老木の梅の春だね。そっくりそうなるよ。」かれはいい終って愉快そうにからからと笑う。
老刀自はまたはぐらかされるのかと思ったが、鶴見が余り心持よさそうなのを見て、わざとらしくなく共笑いをしている。
鶴見が止めどなく長談議をつぶやいていたうちに、娘の静代は梅の枝を剪《き》って来て、しばらく弄《もてあそ》んでいて、話の終るのを待ち構えていた。言いつけられた小品の花は、もうとっくに活け上げているのである。
花器といっても今ではまるでないも同様である。ただ一つ、焼けた灰のなかから掘り出して来た朝鮮三島の瓢形《ひさごがた》の徳利が残っている。少し疵《きず》はついたがまだ使われるのを惜しんでここまで持って来ているのである。小品はその徳利に挿してある。あしらいには熊笹の小葉を利《き》かせてある。この熊笹は庭にいくらでも生《は》えている。それを見たてて取って来たものである。
鶴見はその花について格別批評もしない。ただ時々目を遣《や》って、ちらりちらりと見ている。技術というものは理論よりも直接なものである。どうやら見苦しくないだけに出来ている。かれはそう思って花を幾度も見返している。
「花を活け上げた時の心持だね。それを軽く扱ってはいけないよ。存分に活かったと思う時には、それに応ずるだけの心持が、たとえ無意識であろうとも、その作者には感ぜられよう。それが華道の精神というものだ。自然に思い当るところのあるものだから、その心持を忘れずに抱いていなくてはいけないよ。技術ばかりでは本当の修業にはならないものだからな。」
鶴見は娘の静代にそういって諭《さと》していたが、それも終ると、番茶をいれさせて、一口飲んでほっとしていた。
それから暫《しばら》くたって、鶴見はまた何か忘れていたことを思い起したという気振《けぶり》を見せて、傍《そば》の粗末な本立から、去年の日記帳を引きずり出して繰っている。
「
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