わずにいられた。彼はただ詩人という呼声に酔わされていたのである。
北村透谷の『蓬莱曲』がその頃出た新刊書の一つである仮表装の素朴な本であることはすでに述べた。恐らく二、三十銭そこそこで売っていたのだろう。それにもかかわらず鶴見はその本をどうして手に入れたものかとその算段に数日心を悩ました。余裕のない家庭では二、三十銭といっても大金である。欲しいもの読みたいものもあるが、その位の小遣銭も貰えない状態では何事も思いとまるより外はない。すべてがそんな風で、少年の知識欲は常に抑えられていた。妙に偏屈な性癖がかれにこびりついている。その原因がどこにあったか、それは最早《もはや》問わずとも知れたことである。そう思って見て、伸び伸びと生い立ち得なかった性情を、かれは一生の終りになって、自ら顧みて自ら憐んでいるのである。
『蓬莱曲』は幸いに同級生の一人が買って持っているのを知った。鶴見はそうと知った上は、少しも遅疑せずに、その友人の家へ出掛けて行った。本は貸してくれるという。同級というだけで、ふだん余りに言葉も交わさないでいた間柄であったが、読みたさの一念から学校帰りに臆面もなく、その家を尋ねて行っ
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