して敗れた。劇詩評論小説詩歌――一つとして彼の試みざるものはなかつたのであるが、短日月に精力を費した結果、求めて遂に得られざる一つのものがあつた。それは新樣式である。透谷の文章詩歌に接して最も遺憾に思ふのはこの新樣式の缺如である。すべての舊き型を破り棄てむとして、この一重《ひとへ》の膜にささへられた彼の苦悶は如何ばかりであつたらう。彼は胸中に蓄へた最も善きものを歌はずして世を去つた。透谷は遂に不如意なる自個の肉體を破つたのであるが、詩人の玲瓏たる魂にとつては、因襲の肉塊を放却すること即ちすべての舊きものを破ることであつたのであらう。彼は眞面目なる努力の跡を世に殘して、新思潮の趨《おもむ》くべき道に悲しむべき先驅者となつたのである。彼は天成の詩人であつた。彼は一日として歌はずには居《を》られぬ詩人である。瞑想と神秘の色を染めた調子の深さは彼の性質の特異の點である。透谷はまた信念の人であつた。從つて迷うては魔を呼び、鬼氣人を襲ふ文を草し、神氣のしづまれる折々には閑窓に至理を談じた。彼はこれ等の多くを散文にものしたが、天成の詩人たる彼が詩歌に第一の新聲を出《いだ》すに難《かた》んじたとは運命の戯謔か、――悲痛の感に堪へないのである。
 透谷は要するにその素質に於て明治過去文壇最大の詩人である。透谷逝いて彼の詩魂のにほふところ、島崎氏の若々しい胸の血潮は湧き立つたことであらう。「若菜集」の新聲はかくして生れ出たのである。若き世の歌はここに始めて蘭湯《らんたう》の浴より出でゝ舊き垢膩《くに》の汚《けがれ》を洗ひ棄てたのである。
[#地付き](明治四十年十月「文章世界」〈文話詩話〉號)



底本:「明治文學全集 69 島崎藤村集」筑摩書房
   1972(昭和47)年6月30日初版第1刷發行
初出:「文章世界 〈文話詩話〉號」
   1907(明治40)年10月
入力:広橋はやみ
校正:川山隆
2008年5月16日作成
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