に親んだのは、少年のころ、兩國の川開きの歸り路で、夜店からその一鉢を買つて來た時から始まつてゐる。それは偶然であつたとだけには思はれない。わたくしの藝術の途もまた當夜の光景と異常な美を欲求する同じ線の上にあるべき必至の運命であらうも知れない。
兩國の川開きについてはこゝに多く云ふの必要を認めない。江戸時代の都會の趣味を集中した年中行事の名殘の一つも、今では殆どその美的精神を失つてゐる。夏の夜の都會の空も、耀くまゝに滅えてゆく精錬された色彩の雨の代りに、單調な電燈飾によつてその幽趣と諧調を破られてゆくかのやうに思はれる。光と色の微妙なるエフェクトを花火の技術から感ずるものは、その人自身すでに一個のアアチストである。韻律的な、そして即興的な技術の極致が暗碧の空に展開する。わたくしは花火の技術に於て印象主義の瞬時的な光影の眩惑を認める。
殺伐な火藥の修錬され整調された變形がこゝにある。それはまた人間の贅澤な誇と歡樂を示すと共に、滅えてゆく銀光のすゑに夏の夜の哀愁を長く牽く。
廣重の版畫が殘る。
そして英吉利は大倫敦のテエムスの河のほとりで、「青と銀とのノクタアン」が描かれる。バッ
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