つ》たるが、深藍いろの空を噛みて悠遠なる歴史を語らんとする――あに豊公以後三百年とのみ言はむや、連想ははやく吾人を駆つて南北朝に遡り、源平の代に遡りては、いはゆる「松浦党」の生活を捜らしめ、更に上つ代に、気長足姫命《おきながたらしひめのみこと》の大なる稜威のほどを称へまつらくす。
 唐津岳は、後景《ばつくぐらうんど》に布き、裏浜および虹の松原は左右の翼のごとく飜り、満島より続きたる城下の市街の白堊はその間を点綴《てんてい》し、澄みわたる大空に頭をもたげ、万斛《ばんこく》の風を呼吸し、はるかに靺羯《まつかつ》の大野原を見さけんとするは、この城の姿勢なり――厳かなれども、逼《せま》らず。うべ、「まひづる[#「まひづる」に傍点]」の称の因あることや、また、誰かその鳴く音の高くして清きを聴かむと欲せざる。
 われ鳥島にあそびしその日の夕、舟を松浦川口にとどめ、私《ひそか》におもひに堪へざりしことの今なほ記憶に新たなるものあり、キイツが「いかばかり、われは愛づるよ、うるはしき夏のゆふべに」のソンネットは洵にここに於て唱へらるべきをおもふ、二度、三度唱へて、その意ますます尽きざらむ。只看れば、日の
前へ 次へ
全32ページ中12ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング