めたる紫袈裟の破戒法師(玄※[#「日+方」、第3水準1−85−13])は、※[#「倏の犬のかわりに火」、第4水準2−1−57]《たちま》ち虚空の中に捉へ去られ、その首、のちに興福寺の唐院に墜ちたりと、世の人伝へて広嗣が霊の祟となす。太宰少弐(広嗣)この世に納《い》れられず、謬て賊名をとりきといへども、たちどころに軍卒一万余を嘯集せるがごとき、敗れて値嘉島《ちかしま》より船出したるがごとき、その胆略計るべからざるものあり。「われは大忠臣なり、神霊何ぞ棄てむや。」と罵《ののし》りしに至つては、意気のさかんなること焔のごとし。また松浦明神として祀られしなど、すこぶる天慶の将門に似たらずや。
さあれ、玉島川といふ、鮎の名産あるを知るとともに、神功皇后の事蹟をおもひ起さずばあらず。川に沿ふて上ることしばらく、両岸の山あひ蹙《しじま》り、渓せまく、煙しづかにして、瀬のおと逾《いよ/\》たかし、南山の里に入れば緑なる阜《をか》の上に皇后の祠を拝するの厳かなるを覚ゆ。嵐うづまくところ、老樹の枝は魂あるもののごとく、さながら当年の金鼓の響を鳴すに通ふ。そが下にたてる「垂綸碑《すゐりんのひ》」は篆字《てんじ》はやく苔むして見ゆ。殿堂金碧の美なしとはいへ、おのづから粛穆《しゆくぼく》の趣あり。俯して谷川をのぞむ、皇后そのかみの卯月、河の中の磯に在《いま》して年魚《あゆ》を釣りたまひけるところ。「朕《われ》西のかた、宝の国を求めむとおぼす、もしことならば川の魚つりくへ。」と祈《の》みたまへる御声の朗かなるを、水脈《みを》しろく漲り落つる瀬のおとの高きがうちに聴くがごとき心地す。やがては、乙女の眉《まよ》びきのごと、はた天つ水影の押伏せて見ゆる向津国《むかつくに》も御軍の威に懼《おそ》れ服《まつろ》ひけむをおもふ時、われは端なくも土蜘蛛、熊襲《くまそ》なんどの栄えたりし古の筑紫に身をおくがごとくて、遽《すみやか》に神の御前を去りあへざりき。
されどまた試みに憶良の歌を誦すれば、いとも優しき玉島川は歴史以外におのづから絶えせぬ情の水の清くしてゆるやかなるものあるべし。――
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松浦なる玉島川にあゆつると
たたせる子らが家ぢしらずも
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何ぞそのこころの遠くして、その調のあがれることや。
四
唐津より西北、佐志をすぎ、唐房《
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