雅の士をまつことの久しきかをわれは知らざるなり。
三
満島より東、浜崎に到るのあひだ、松浦川と玉島川との挟《さしはさ》める一帯の海岸なるかな、そもそも何によりてかただちに人を魅するの力ある、さながら夢幻の境のごときもの、これ虹の松原!
ある人、虹[#「虹」に傍点]の松原の称は二里[#「二里」に傍点]の松原の訛れるなりといふ。ああ、まことに二里[#「二里」に白三角傍点]の松原[#「松原」に白三角傍点]か――あにその数量に於て寸分の差違なきを得んや。しかり、われは唯里程の概算をうるの益あるよりも、寧ろ恍惚として、わが一歩をだに忘れむとするの楽を択ぶなり。天人の羽衣もて劫の石を撫づる[#「天人の羽衣もて劫の石を撫づる」に傍点]てふ譬喩《ひゆ》のいかに巧に歳月の悠久なる概念を与ふるかを知らば、おなじく「虹の松原[#「虹の松原」に白丸傍点]」と唱《うた》ひてこそ、はじめて尽ざる趣は感情の底より湧き来り、未だその地の真景に接せざるも、はやくその概相の瞭然たるものあらむ。
近き海上に高島ありといへども、玄海灘の潮は殆ど遮るものなく押寄せ来り、極まるところ、玉島川及び松浦川の水とあひ激し、あひ待ちて、この海岸に最正しき沙線を撓《たわ》めたるなり。潮の色や青く、砕くる波や白し、いさご明かなり、松みどりなり、加ふるに東雲《しののめ》のむらさきと、夕映のくれなゐとは、波を彩り、沙《いさご》にうつり、もろもろの麗はしき自然の配色は恣に変幻するがごときも、しかも斎《つつま》しくこれを渚の弧線の上に繋ぎて、いみじくも優しき調和を見せたり。想へば恵まれたるながめなるかな、ただ要時《しばし》、中空にかかりぬべき虹の橋は、やがて常住の影をここにあらはすがごとし、そのかがやく欄干《おばしま》に凭《よ》りて、わが霊魂《たましひ》は無限の歓喜を受けたりき。
以太利《いたりや》の風光にあくがれし詩人、シェレエが「ピサに近きカシネの松ばら」と題してものしたる歌の中に就きて、回想せし楽しき逍遥の日は「なよ風松が枝に巣ごもり、荒波海ぞこに歛《をさま》れりし」なり、われ虹の松原に遊べる折やまたかくのごとかりき。
背後に屏風を畳《たた》むは、これ領巾振山《ひれふりやま》――虹の松原の絶景をして平板ならざらしむるはこれあり、うち見るところ、造化の作の中にありて極めて拙劣なるもの、擲《なげう》つて
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