因の然らしむるところと諦めるより詮術はない。
 なほまた律格を考慮の中に入れゝば上述した語詞の疑問は更に大きくなるばかりである。これを要するに現代語は詩法の約束に依つてひき緊めるほど缺陷を暴露して來るのである。現代語で書く自由詩はそれ故に意識の有無に拘らず、それ自體の中に自壞作用を孕むものである。律格を棄て去つて、然も散文語を用ゐつゝ進んで散文にも就き難き自由詩は發想の範圍を狹くするのみで、技法の暢達もとよりなく、いぢけてしまふに不思議はない。これを自由詩運動の側から見れば始めからアマチユア作家の群を引寄せ過ぎて、それに危險な實驗を手離しにさせた憾が多い。最初の唱道には一面確かによい部分もあつたのであるが、後が頗る惡いのである。日本の藝術を冒涜するものは、古今共にこのアマチユア作家の群であつて、自由詩の三十年間に際立つた收獲のないのも、これをその極端な一例と考へたい。
 私は今これ以上、水に乏しい頭を傾けて物を言ふのも憶劫である。ひよつとすると明日この行詰りが急に打開されるかも知れない。然しこれは主觀上の事で、客觀では何十年を經過した後かも知れない。實のところ私は絶望してゐるのである。詩は滅びると、さういふ聲が他からも聞える。私はそれをも率直にうべなふものである。今日の詩は當然散文に吸收されて、或る期間の憩ひを樂しむのも惡くはないと思つてゐる。少なくともさういふ方向に從つて詩が滅びつゝあることを私はむしろ冀ふものである。
 然し私には詩の將來の爲めに指針を與ふる如き資格は毫もない。私は始めから他家の馬を水中に引入れるだけの魅力も有せぬ、いはば意氣地のない老水虎である。それが責められるとしても、これ以上愚答を述べるのは堪へ難いし、金瘡や接骨の藥法は素より知悉してゐないのであるから、その妙術を惜んで傳へぬのでもない。うつけ者の思案にあたはぬとはこの事であらう。[#地から2字上げ](昭和十二年三月)



底本:「明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)」筑摩書房
   1980(昭和55)年8月20日初版第1刷発行
底本の親本:「飛雲抄」書物展望社
   1938(昭和13)年12月10日
初出:「文藝懇話會」
   1937(昭和12)年4月
入力:広橋はやみ
校正:川山隆
2007年8月14日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青
前へ 次へ
全3ページ中2ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング