樹木を植ゑたり、ほんの慰みに畑をいぢつたりするだけの仕事しか爲さないのである。そして僅に發芽する蔬菜のたぐひは、これを順次に、いかにも生に忠實な蟲に供養するまでゝある。勿論厨房の助にならう筈はない。こんな有樣なのであるから、田園生活なんどは毫頭想ひも寄らぬことがらである。僕の生活は都會ともつかず田園ともつかず、その中間にあつて、相變らず空漠なその日暮らしで始終してゐる。そして當然僕の生涯の絃の上には、倦怠と懶惰が執ねくもその灰色の手をおいて、無韻の韻を奏でてゐるのである。
考へて見れば、これが「生の充實」を稱ふる現代の金口に何等の信仰を持たぬ人間の必定墮ちてゆく羽目であらう。その上、僕には本能的な生の衝動が極めて微弱であるから、悔恨の情さへ起り得ない。とどのつまり永遠に墮ちてゆく先は無爲の陷穽である。
然しながら無爲の陷穽にはまつた人間にもなほ一つ殘された信仰がある。二千年も三千年も言ひ古るした、哲理の發端で綜合である無常――僕は僕の生氣の失せた肉體を通じてこの無常の鏡を今更しみじみと聽きほれるのである。これが僕のこのごろの生活の根調である。矢張僕の神經や肉の纖維には佛教の蟲が食ひ
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