が、將又かのピヤノの上に蹲つた猫がそらねぶりをしてゐようが、そんなことには一切お構ひなしであらう。そうして僕自身も、いつになつたら僕の藝術が成就するか、それさへ實は判らぬまゝである。

 かやうに懶惰な僕も郊外の冬が多少珍らしかつたので、可笑しなことに、日記といふものをつけて見た。去年の十一月四日に初めて霜が降つた。それから同じく十一日には二度目の霜が降つた。四度目の霜である十二月朔日は雪のやうであつた。そしてその七日、八日、九日は三朝つづいたひどい霜で、八ツ手や、つはぶきの葉が萎えた。その八日の朝初氷が張つた。二十二日以後は完全な冬季の状態に移つて、丹澤山塊から秩父連山にかけて雪の色を見る日が多くなつた。風がまたひどく吹いた。以上が日記の拔書である。
 然し概して云へば、初冬の野の景色はしみじみと面白いものである。霜の色の蒼白さは雪よりも滋くて切ない趣がある。それとは反對に霜どけの土の色の深さは初夏の雨上りよりも快濶である。またぼろぼろになつた青苔が霜どけに潤つて朝の日に照らさるゝ時、大地の色彩の美は殆ど頂點に達するのである。この時の苔の緑は如何なる種類の緑よりも鮮かで生氣がある。恰もエメラルドを碎いて棄てたやうである。また恰も印象派の畫布に觀るところの如くでもある。僕はわびしい冬の幻相の中で、こんな美しい緑に出會うとは思ひもかけなかつたのである。僕の魂も肉もかゝる幻相の美に囚はれてゐる刹那、如幻の生も樂しく、夢の浮世も寳玉のやうに愛惜せられるのである。然しながら自然の幻相が何等の強力を待つて發現するものでないのと等しく、その幻相の完全な領略はまた何等の努力をも待たないものである。夢をして夢を語らしめよ。

 ――君。僕はもう默してよいころであらう。眼も疲れ、心も疲れた。ふと花壇のほとりを見やると、白い胡蝶がすがれた花壇にさいた最初の花を搜しあてたところである。そしてその胡蝶も今年になつて始めて見た胡蝶である。春が來る。僕の好きな山椿の花も追々盛りになるであらう。十日ばかり前から山茱萸と樒の花がさいてゐる。いづれも寂しい花である。ことに樒の花は臘梅もどきで、韵致の高い花である。その花を見る僕の心は寂しく顫へてゐる。[#地から2字上げ](明治四十五年三月)



底本:「明治文學全集 99 明治文學囘顧録集(二)」筑摩書房
   1980(昭和55)年8月20日初版
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