も、全くいはれなき屈辱を蒙らされたものと推測したのである。口語體自由詩に對しても強ちにこれを排撃してはゐなかつた。わたくしにしても素より因習に反撥して起つたものである。然るにわたくしは圖らずも邪魔扱ひにされたのである。謂はば秀才達の面白半分の血祭に擧げられたといつてよい。意外な目に遇つて、後に事がよく判つて見ても、わたくしは詩に對して再び笑顏は作れなくなつた。殊に詩人が嫌になつたのである。
 わたくしはいづれの盟社にも屬せず、終始孤立して來たといつてよいであらう。一時は藝術上新主義の母胎とまで噂さされた龍土會の一員として、幾分の陶冶を經て來たにはちがひないが、その龍土會自體の樣子は今眼前に離合しつゝある詩人の團體とは餘程の懸隔があつた。その龍土會すら影を薄くした。時勢の變は止む事を得ぬものである。
[#地から2字上げ](昭和四年十月)



底本:「日本現代文學全集 22 土井晩翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨 集」講談社
   1968(昭和43)年5月19日初版発行
   1969(昭和44)年10月1日第2刷
初出:「日本現代詩研究 『現代詩講座』四」金星堂
   1
前へ 次へ
全9ページ中8ページ目


小説の先頭へ
文字数選び直し
蒲原 有明 の一覧に戻る
作家の選択に戻る
◆作家・作品検索◆
トップページ 登録 ご利用方法 ログイン
携帯用掲示板レンタル
携帯キャッシング